信じることの難しさ 疑う方が簡単

宗教を信じる人は、何も考えず、単純に信じていると思っている方も、少なくない様に思います。マインドコントロールされて、思考停止に陥っている、ということかもしれません。
しかし、信じることは、実は非常に難しいことです。疑う方が簡単なのです。

人を信じる、ということに置き換えると、わかりやすいかもしれません。
太宰治の「走れ、メロス」という小説があります。有名な小説なので、ご存じの方も多いと思います。
メロスは王に捉えられ処刑されようとしますが、妹の結婚式に出るために3日だけ解放してくれと王に頼みます。その3日間は、友人のセルテンティウスを人質におく、もし3日で帰ってこなければ彼を処刑してくれ、というわけです。メロスは妹の結婚式に出たあと、王の城に向かいますが、途中で洪水や盗賊に出会い、ほとんど精魂尽き果てます。それでも命懸けで走って、約束通り3日後の日没直前で、処刑場にたどり着きました。その間、セルテンティウスはメロスが帰ってくることを信じ続けた、という話です。
メロスが本当に戻ってくるのか、信じ続けることと疑うことと、どちらが簡単かと言えば、疑うことでしょう。それでも、セルテンティウスが信じ続けたから、立派だというこのです。

人を信じるのは、相手が目に見えるし言葉を聞けるから、ある意味容易です。
しかし信仰するということは、目に見えない神を信じるわけです。それも、何千年も前の約束が果たされることを信じるということは、人を信じるよりも、より大変なわけです。
私の好きな新約聖書の聖句に、「信仰とは、望んでいることがらを確信し、まだ見ぬ事実を確認することである」(ヘブライの信徒への手紙第11章1節)というのがあります。理想を信じて、神の約束を信じるということは、簡単なことではありません。

ましてや、家庭連合は、日本で最も評判の悪い団体です。非難されながら、それでも信仰を続けるということは、大変なことではあります。マインドコントロールされて思考停止に陥った状態では、できないことなのです。

動画はこちら
https://youtu.be/vNTJ9PaAnSo