現実の問題は現実的に解決するしかない
生活をしていると、様々な問題に直面することはあります。家族のこと、仕事のこと、およそ悩みのない方はいないのではないでしょうか。当然、私もいろいろな問題を抱えています。時々、朝起きるのも辛いと思うことだってあります。何もかも思い通りに行くのであれば、そんなありがたいことはありませんが、世の中そんなことはありません。
そんな悩みを抱える中で、宗教に心のよりどころを求める人は、少なくありません。自分の悩みを理解し、助けてくれる人がいなくても、神仏はその苦しみをわかって、救いの手を差し伸べてくれると思うからです。それが宗教の社会的ニーズと言えるかもしれません。
しかし、勘違いしてはならないのは、宗教自体が現実の問題を解決することはできない、ということです。現実の問題は現実的に解決するしかないのです。お祈りしたり、献金したりしても、それだけでは問題は解決しません。むしろ、宗教の役割は、現実に向き合うことに疲れた人が、また心の拠り所を得て、もう一度現実と向き合うための心の支えをえるためにあるのかもしれません。
こういう私も家庭連合の信仰をもっており、四面楚歌の状況になった時にも、「文鮮明先生はもっと大変だったじゃないか、神様は哀しかったじゃないか」と思って、慰められたことが、一度や二度ではありません。それと同時に、現実問題から逃げていては、何も状況はかわらないことも、経験上わかっているのに、それを避けていたこともあります。
「宗教を信じれば状況がよくなる、家族の問題も解決できる」と信じて信仰を続けた場合、その結果が得られなければ、がっかりしてしまうこともあると思います。結局、現実の問題は、現実的に解決していくしか、方法がないと、覚悟を決めるしかないのだと思います。
一人で戦うことは大変です。それを支え合うために、教会にはコミュニティがあります。「現実は違うじゃないか、家庭連合の教会にそんな助け合いの精神はないじゃないか」、と非難する人もおられるかもしれません。私自身も、どれだけ教会のメンバーの悩みなどに関心をもってきたかと問われれば、返す言葉もありません。まわりの人々に対して、聖書でいうところの隣人となれているのか、改めて自らに問いたいと思います。
動画
https://youtu.be/aVQ-jZC4kIk


