仲正教授 マインド・コントロールを論じる

12月6日に、信教の自由と人権を守る石川大会で、金沢大学教授の仲正昌樹氏が講演をしました。30分の講演時間の約半分を、マインド・コントロールについて語られたと思います。

マインド・コントロールは、社会生活においてごく一般的なことであり、お互いに相手の考え方に影響を与えながら生活しているものであって、それ自体は自然なものだと言います。
宗教を信じる者はすべてマインド・コントロールされている、というのであれば、問題は家庭連合だけのことにはならないわけです。
だから、家庭連合の信者は、「マインド・コントロールされている」と言われたら、それを否定して受け身になるのではなく、むしろそれを逆手にとって、宗教家、専門家として、どこに問題があるのかを反論すべきだというのです。
https://youtu.be/bMrzeJ_67LE?si=vux1QH6TBRKSgINh&t=904

こういう考えかたは、実はアンチも言っています。紀藤正樹氏の「マインド・コントロール」を読むと、こう書いてあります。
「ある人が自分以外の人や組織から精神的な影響を受け、自分が意識しないままに態度・思想・信念などが強く形成され、それにすっかり凝り固まってしまい、心や精神が支配されているように見える状態は、ごく普通にあることだと気づきます。」(P44)
ここで、スポーツ選手のコーチと選手の関係などを例にとりあげ、
「右のような事例は、広い意味でのマインド・コントロールとよく似ており、マインド・コントロールの一種と言えないことはないかもしれません」(P46)
そして紀藤氏は、こう言っています。
「目的、方法、程度、結果などを見て、それらが「法規範」や「社会規範」から大きく逸脱している場合は、これをマインド・コントロールと判断して問題視すべきである」(P47)

つまり、マインド・コントロール自体は自然な現象であって、それ自体が問題なのではない、と言っているわけです。ある意味、仲正教授が言っているのと同じです。
そういうことなら、「マインド・コントロール」という言葉は、「コミュニケーション」と言い換えてはどうか、と思います。人は誰でも、一人で考え方を作ったり、意思決定をしているのではなく、意識するかしないかに係わらず、なんらかの形で他者からの影響を受けています。つまりそれは、「コミュニケーション」とも言えると思います。

紀藤氏の論理では、良いマインドコントロールと悪いマインドコントロールというものがあり、問題なのは悪いマインドコントロールです。それは、良いコミュニケーションと悪いコミュニケーションと同じ話で、悪いコミュニケーションとは「法規範」や「社会規範」から大きく逸脱しているものをいうわけです。

家庭連合の信者は、ある意味コミュニケーションの専門家です。家族ぐるみのつきあいもするし、お互いの人生に深く関わり合って生きています。誰かが困ったら、お互いに関心をもって、助け合おうというコミュニティを築いています。もちろん、不足なところは多々ありますし、自分も反省しなければならない点は多くありますが、少なくともそれを目指しているのです。
「コミュニケーション」の専門家を目指しているとすれば、それは間違ったこととは言えません。仲正教授の提案を、私はそのように受け取りました。

それから、余談ですが、この講演では、私の学生時代の断食のお話に触れて頂きました。よくそんなことを覚えているな、と思います。私も仲正教授の若いころのエピソードを一つご紹介します。
当時の東大の学生自治会は、日本共産党系の学生組織である民主青年同盟(民青)に牛耳られて、学生に対して左翼思想を広めていました。仲正さんは、左翼活動家と対峙し、共産主義を否定し、論理的には絶対に負けていませんでした。すごいのが、「Victory over Communism」という、共産主義や日本共産党の問題を指摘するこの小冊子です。小冊子といっても300ページを超えるものです。おそらく仲正さんも、この執筆にも関わっていたと思いますが、極めて論理的です。比較宗教研究会という会も作って、発表もしていました。現在教授としてご活躍する背景には、このようなご経験もあるのかもしれません。

動画はこちら
https://youtu.be/7xW4D3rv3mM