人生いろいろ 信仰もいろいろ
家庭連合に限らず、キリスト教や仏教など、いろいろな宗教がありますが、信仰の持ち方、信仰の辞め方などは、いろいろなパターンがあると思います。決して、一つに決められるものではないと思います。どのようにして信仰を持つに至り、どのようにして信仰をまあ保っているのか、それは一つには決められないわけです。なぜかというと、その人一人一人が持っている人生のストーリーは、全部違うからです。
十人いれば十のストーリー、百人いれば百のストーリー、千人いれば千人のストーリーがあり、全部違うわけです。だから、「私は神様にまあこういうように出会った」「私はこれこれこういうようなところが素晴らしいと思った」あるいは「私はこういうところがおかしいと思うから信仰をやめました」など、いろんなことがあって、それは画一的なものではありません。だからこそ、お互いにどのような人生を歩んできたのか、恩恵を交換する、意見を交換することが、大切なわけですね。
私は家庭連合の信者ですけども、「家庭連合の信者はマインドコントロールされていて、単純な思考しかできなくなっている」と決めつけるのは、そもそもその方が人生のあり方というものを理解されていないんじゃないかと、信者としては思うわけです。
例えば、家庭連合は解散命令決定を受けていいますが、この決定書に何て書いてあるかというと、家庭連合の被害者の「類型的傾向」と言うことですね、完全にパターン化しているわけです。すなわち、「家庭などに問題がある」「その原因は先祖の因縁であり、献金をしなければ解放されないと言われた」「献金して生活に困窮して被害者になった」とこのようにして無理やりパターン化しているのです。
人間は、物事を理解するのに一番便利な方法は、パターン化することです。その中でも一番分かりやすいのは、二つに分けちゃうことです。例えばハリウッド映画では、必ず誰がどう見ても悪者だという人と、誰がどう見てもヒーローだという人に分けて、そのヒーローに感情移入して、どんなピンチがあったとしても最後にヒーローが勝って、拍手喝采するという、これがまあハリウッド映画だと思います。そのように単純化すればするほど、わかりやすく、感情移入もしやすいのです。
しかし、皆様よくご存知のとおり、人生そのものは人それぞれであって、決してパターン化することなどできないはずです。同じ家庭連合の信者中でも、抱えている人生、それまで背負ってきた人生の重みというものは、一人一人全部違うわけです。これは当たり前のことですね。それを無理やりパターン化しようとするならば、その人の人生を軽視することになるのみならず、宗教全体を軽視するようなものになってしまいます。これは、非常に危険なことであるし、誤った方法であると私は思います。
一人一人が持っている人生、一人一人が持っている信仰は、すべて違いますので、お互いにそれをリスペクトする、大切にする、決して一つのパターンに当てはめてわかったような気になってはいけないのです。
それを誤ると、恐ろしい人権侵害が起きてしまうのです。これは、本当に気を付けなければならないことだと思います。
動画はこちら
https://youtu.be/m9G2oKE3M08


