家庭連合の教えは万人救済説である

今日は、家庭連合の教えは万人救済説である、ということでお話してみたいと思います。ドラゴン牧師こと岩本龍弘氏が、キリスト者の立場で原理講論を分析するという研究をされているのですが、先日の動画では、原理講論の「復活論」の、下記の部分を引用されていました。
https://ffwpu.family/library/divineprinciple/resurrection#5-3

「神の復帰摂理の究極の目的は、全人類を救うところにある。ゆえに、神は各々の罪を蕩減するのに必要な期間だけを経過すれば、地獄までも完全に撤廃なさろうとするのである。もし、神の善の目的が完成された被造世界に、地獄が永遠にそのまま残っているとすれば、結果的に、神の創造理想や復帰摂理はいうまでもなく、神までも不完全な方になってしまうという、矛盾をきたすようになる。
堕落人間においても、その一人の子女でも不幸になれば、決して幸福になることができないのが、父母の心情である。まして、天の父母なる神が幸福になり給うことができようか。ペテロⅡ三章9節を見れば、「ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである」と記録されている。したがって、神の願うみ旨のとおり、成就されるべき理想世界に、地獄が永遠なるものとして残ることはできない。」(第5章復活論第三節(3)再臨復活による宗教統一)

つまり、全ての人類は、救済されると言っているわけです。万人救済説ということになると思います。

それに対して、キリスト教は別の立場をとります。救済される者と救済されない者は、予め神が選んでいるというわけです。これを主張したのは、16世紀の神学者ジャン・カルヴァンで、これがプロテスタントの理論的根拠となり、その後の西洋の文化の発展の基礎になったと言われます。下記の資料が参考になります。
https://diamond.jp/articles/-/309478

「カルヴァンは、神によって救われる「選ばれし者」と地獄に落ちる「見捨てられた者」があらかじめ決まっているという「予定説」を提唱。
そして、自分がどちら側なのかは「仕事に励んで成功するかどうか」で確かめられるとした。つまり、カルヴァンは前述したように、カトリックが罪とした「蓄財」をむしろ推奨し「働くことはよいことだ」とした。
資本主義を発達させた点で、宗教家として、カルヴァンは極めて特異な存在だといえよう。」(DIAMOND online 「お金もうけ」を推奨し「資本主義」を発展させた…宗教家カルヴァンの“極端すぎる性格”とは? ワークマンパブリッシング 真山知幸)

自分が選ばれた者なのかそうでないのかは、仕事に励んで成功するかどうかで確かめられるという話です。カトリックは金を稼ぐことを罪としましたが、カルヴァンは働くことは神の栄光を表す、よい行いだと主張したわけです。これが、資本主義を発展させたと言うことで、西洋において経済が大きく発展した背景に、カルヴァニズムがあると言うふうに言われる所以です。
その流れを受けているのが、例えばマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で、私は大学の経済学部の卒論で、この本をテーマにしました。

ところが、予定説は弊害も生みます。救われる者と救われないものが、あらかじめ決められている訳ですから、救われない者は天国に行けないわけです。そうすると、彼らに対する差別が生まれます。アメリカという、最もキリスト教の理想を実現しようとして作られた国で、なぜ奴隷制度があったのかといえば、黒人は神の祝福を受けていない人種だから、家畜同然に扱ってよいとされたわけです。黒人を奴隷船にのせて異国の地に連れてきて、奴隷としてこき使うということを、なぜ西洋人ができたかと言えば、救われるものとそうでない者を切り分けると言う、カルヴァニズムの影響が大きいのでないでしょうか。

それでは、東洋的な思想はどうかといえば、そこまで激しくはありません。もちろん封建主義的な身分制はありますが、領主は民百姓を大切にしてきたし、西洋の奴隷のような制度はありません。浄土真宗を始めた親鸞上人は、こう言ったそうです。
「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」
歎異抄に書かれている言葉で、「善人ですら救われるんだから悪人はもっと救われる」という内容です。ちょっと逆説的ですよね。悪人ですら救われるのだから、善人はもっと救われるという風に考えるのが普通ですが、逆のこと言ってるわけです。ということは、悪人も善人も結局みんな救われる、どんな人間でも救われるんだ、と言っているわけです。要は、万人救済説です。

こういう考え方は、おそらくキリスト教においては、馴染みにくいのだろうと思います。万人が救済されるのであれば、イエス・キリストの存在意義がないように見えてしまうからです。

その点で、善も悪も全部ひっくるめて天国に行けるという考え方、万人救済説というのは、ある面東洋的な考え方なのかもしれません。統一原理が、西洋ではなく東洋に生まれたというのは、ある意味自然なことなのかもしれません。
これらの点については、いろいろなご意見あるかと思います。コメントよろしくお願いいたします。

動画はこちら
https://youtu.be/HmIzlx8UBaE