人が神様を感じる瞬間 ―こどもが親を求めるごとく―

こどもには、親が絶対的に必要です。私も5人のこどもの親ですが、生まれて間もない子どもの顔を見ると、自分たちがいなければ、この子は明日にでも死んでしまう、と強い責任感と愛情を感じたものです。それは、世の親であれば、誰もが感じる、衝動にも近いつよい思いなのではないかと思います。

これは、生まれたばかりの赤ちゃんだけではなく、子どもが成長して大人になる過程でも、必要なものだと思います。いつも自分が、親から愛されているという確信があるから、初めて歩いたり、外に出たり、人に会ったりできるのです。もし誰かに否定されても、自分の親だけは味方であるという確信があれば、それを乗り越えることができます。

神様と人との関係も、これと同じだと思います。神様が人を創られたのであれば、人がどんな困難な状況になったとしても、神様だけは自分の味方である、そう確信できるならば、その苦難は乗り越えることができます。逆に言えば、苦難な状況こそ、神様の愛を体感できる、絶好の機会なのかもしれません。

何らかの宗教の信仰を持つ人が、なぜ信じるに至ったかは、いろいろなケースがあるでしょうし、一概には言えないでしょう。しかし、私自身振り返ってみると、神様の愛を実感する瞬間は、調子よくものごとが進んでいる時ではなくて、八方ふさがりの大変な時だったように思います。おそらく、家庭連合に限らず、多くの信仰者が神様を感じる瞬間、いわゆる神体験とは、このままでは生きていけないと思うような、限界状態にある時ではないでしょうか。

宗教の歴史は、殉教の歴史でもあります。日本においても、キリスト教のみならず、多くの宗教家が、殉教してきました。そして、迫害のさなかに、彼らは神様の姿を見たに違いないと、私は思います。子どもが親の愛を求めるがごとく、人が神を求めるためには、困難な状況もかえって感謝に変えてきたのではないでしょうか。
私にはそんな強さもないし、大変だと嘆いてばかりですが、前向きにとらえることも必要ではないかと思います。

動画はこちら
https://youtu.be/vhZjTMOd3Wg