宗教に対する知的な理解と情的な理解 西洋哲学は知性を重視、東洋哲学は霊性を重視

宗教を理解するためには、知的な理解だけでは十分ではなく、情的な理解が必要だと思います。人は、最後に納得するためには、頭だけではなく、心で納得する必要があると思うからです。

西洋でキリスト教が発展した背景には、ギリシャ文明との出会いがあったと思います。ギリシャ哲学は、緻密に論理を構築することができました。
しかし、どんなに堅牢な論理体系を構築しても、前提がくずれると、全く違う結論になってしまいます。

例えば、弁証法という方法があります。命題と反命題、いわゆるテーゼとアンチテーゼを戦わせることで、より高次元の新しい結論(ジンテーゼ)を導き出す方法です。これを、悪い方向に転用したのが、共産主義理論を構築したマルクスの唯物論的弁証法です。全ての存在を、支配者と被支配者に分けて、被支配者が支配者を打ち倒すことにより、よりよい社会が作れる、というわけです。論理を重んじる西洋で共産主義が生まれたのは、自然のなりゆきだったかもしれません。

これに対して、東洋は、理屈を超えた神秘的なものを大切にしてきました。霊的なもの、情的なものを重視しました。東洋哲学は、理論的というよりも、直感的なものだと思います。

宗教を正しく理解するには、知的で論理的なアプローチと、情的で霊的、直感的なアプローチの両方が必要ではないかと思います。東洋は、西洋に対してコンプレックスがあるかもしれません。しかしそれは間違いであり、東洋は東洋の素晴らしさ、高度に宗教的な文化を誇ってよいと思います。

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