宗教と国家について

宗教と国家は、歴史的に切っても切れない関係があります。政教分離という概念は近世以降のもので、それ以前は政治と宗教は密接な関連性を持っていました。

キリスト教の母体もなったユダヤ教は、イスラエルという国の宗教です。イスラエルの神は、異邦人のためではなく、イスラエルの民のために存在していました。まさに、宗教=国家です。
これに対して、イエス・キリストが説いたのは、神は全ての人をあまねく愛するというものです。個人の救済という普遍性により、キリスト教は国を越えて広がっていきました。

しかし、キリスト教はローマ帝国が国教に指定した後、教会が権威を持つようになります。教会を通してしか、人間は神につながることができなくなり、教会の人々に対する影響力は非常に大きくなります。すると国家がこれを利用して、人々を統治するようになります。中世においては、教会と国家が、お互いに牽制しながらも、強い関係性を維持しました。

日本や中国においては、仏教が統治に利用されるようになります。唐は仏教を優遇して人心を把握しようとしたし、日本の聖徳太子も仏教を優遇しました。
しかし宗教は時には政府を倒すこともあります。中国の漢が滅亡するきっかけとなった黄布の乱は、太平道という宗教が母体となりました。そのため、政治は時々宗教を迫害します。日本では、織田信長が仏教を敵視し、延暦寺を焼き討ちしました。
アジアにおいても、国家と宗教は、お互いに利用し、敵対する関係だったわけです。

宗教と国家が分化するようになったのは、近世の啓蒙思想や宗教改革がきっかけになりました。
フランスに端を発する啓蒙思想は、キリスト教的な神を中心とする思想から脱却し、人間の理性を重視するようになりました。ルターの宗教改革は、教会経由でなければ神に通ずる道はないという教えから、個人が直接神に通じる道、即ち霊性が重視され、その根拠を聖書に原点を求めるようになりました。いずれにおいても、教会や国家を中心とした考え方から、人間の基本的人権という考え方に移行していったのです。

その結果、宗教と国家は分けるべきだとして、政教分離という考え方が広がっていったのです。政教分離は宗教が政治に関わってはいけないとか、政治が宗教に関わってはいけない、ということではありません。むしろ、互いに役割分担を担いながら、人類の発展に貢献するべきであると、考えられるようになったのです。