宗教と経済について

現代の世界経済は、市場経済で成り立っています。
事業者は、会社を設立してそれぞれの創意工夫を発揮し、経済活動を行います。
会社組織の代表的なものは株式会社です。株主が会社に対して出資し、経営者は株主に委任を受けて会社を運営し、利益は株主に分配されます。いわゆる所有と経営の分離です。株主は、株式の種類にもよりますが、株式数に応じた議決権を保有します。
この仕組みは、民主主義の原則に基づいています。株主は株式数のみにより権利を行使することができ、株主間の差別は許されません。ワンマン経営者がいる会社でも例外ではなく、株式総会で解任されれば、経営者は経営権を失います。

このように、一人一人が平等に権利を持つという思想は、近代以降の啓蒙主義や宗教改革からもたらされた、基本的人権という考え方によるものです。そしてそれは、宗教的な背景によって、育まれたものです。

カール・マルクスは「資本論」において、価値を生み出すのは労働力であり、資本家はその価値を搾取する存在と論じました。事業者の創意工夫が価値を生み出すとは考えないし、それを市場が評価するという発想もありません。特に宗教に対しては、人間を抑圧するものとして、激しく否定します。

一方、マックス・ウェーバーは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」において、キリスト教的な自己抑制と神の栄光を賛美する動機が、勤勉な勤労と職業倫理を生み出し、それが資本主義経済を発展させたと主張しています。宗教的な背景が、資本主義にあるというわけです。

私は、大学では経済学部でしたが、卒論のテーマがこの本でした。資本主義が大きな資本を集める仕組みとして寄与たことは間違いなく、その精神的な背景にキリスト教的なものがあるということは、大きな発見だと当時思いました。 宗教を否定することは、唯物論につながり、共産主義的な思想に傾いていきます。これは経済にとっても大きな影響を与えかねないことは、理解するべきと思います。