共産主義の問題点
私たち家庭連合は、「共産主義は間違っている」と主張しています。これは文鮮明先生が国際勝共連合を設立したことでもわかる通り、私たちの一貫した考え方です。
それでは、共産主義のどこが問題なのでしょうか。共産主義という思想の根本は、神や精神的なものを否定考え方です。これを唯物思想と言います。
キリスト教をはじめとする多くの宗教は、神がこの天地を創造し、人間を含む生物を創造したと説明します。宗教を信じていない人々も、神はいるかもしれないけれど、わからない、と考えています。
それに対して、共産主義は積極的に神の存在を否定します。そのための理論が数多く構築されました。マルクスは資本論を書いて、経済は資本家が労働者の労働を搾取することで成り立っていると言いました。人間の創造性には価値を認めていません。またダーウィンは、神の創造を否定するために、自然淘汰による進化という理論を構築し、「主の起源」という本を書きました。私は資本論も主の起源も読みましたが、膨大な著作でなかなか理解することが難しいのですが、共通テーマは「神はいない」「この世は物質のみで構成されている」というものです。そこに、人間の尊厳性や命の尊さ、といった発想はありません。それらは、人間は神によって作られたから尊い、という考え方が基本になるからです。
そして、共産主義は、社会は共産主義世界という理想世界に向かって発展するという考え方を持っています。それが唯物史観というものであり、理想世界は歴史の趨勢であるから、それを実現するための手段は正当化されます。なぜならば、歴史は抑圧するものと抑圧されるものが対立し、相克することで発展してきたと考えるからです。そのためには、既存の秩序は破壊しなければなりません。そのために使われるのが暴力であり、この暴力による社会変革を暴力革命と言います。これが共産主義という思想の本質です。
人間の精神性や命は、たかだか物質に過ぎないのですから、尊重する必要はありません。目的を果たすためであれば手段が正当化されると考えるのが共産主義的な思想です。ここに共産主義の大きな問題が存在するのです。
人間は誰しも、人を愛する心と、人を憎む心が内在します。自分にとってマイナスな事象に対して、自分の問題であるとする人は悔い改めて人を愛そうとしますが、他人や社会の問題であるとする人は、他人を恨み、憎みます。そして共産主義は、この「恨み」の心を引き出して増幅し、暴力につなげます。
共産主義を掲げる多くの国、例えば中国やかつてのソ連では、毛沢東やスターリンといった独裁者は共産主義による理想国家の建設を大衆に訴えました。しかし独裁者の意に沿わないものや不都合な者は、理想国家の敵であるとみなされて、次々と粛清されました。第二次世界大戦後、共産主義国家による犠牲者は1億人以上であるとも言われています。なぜこのような恐ろしいことができるかと言えば、人間の命は物質でしかないから、目的に沿わない人間は存在価値がないからです。
1992年にソ連が崩壊して東西冷戦がなくなったことで、共産主義は終わったと考える方もいるかもしれません。しかし共産主義は姿形を変えて今でも私たちの周囲に存在します。むしろわかりにくい形で私たちの身近なところに浸透しているという点で、共産主義の脅威はますます深刻化していると言えるかもしれません。
共産主義者は、既存の秩序を破壊することで、抑圧されたものが抑圧者を倒すことができると考えます。既存の秩序とは何かといえば、家庭や社会、倫理道徳などの価値観です。私たちは、文化共産主義と言っていますが、これらの価値観を破壊する活動は、とても広がっています。国家に対する忠誠や、家庭を中心とした教育を否定し、LGBTや同性婚など家庭を破壊する施策を進めるのも、背後に文化共産主義があるからです。
共産主義は、神を否定する宗教です。それは、精神性を否定し、物質中心の社会を目指します。そして自らの目的に沿わない団体や個人に対して、「反社会的」とレッテルを貼って大衆を煽動し、なりふり構わず弾圧し抹殺しようとします。家庭連合に対する迫害や、家庭連合信者に対する拉致監禁も、すべてこのような理屈で正当化してしまいます。家庭連合は共産主義を否定するからです。このようなことに対しては、家庭連合の信者として、声をあげて戦わなければならないと考えています。
動画はこちらをご覧下さい。
https://youtu.be/bj5IFq1eO3ghttps://youtu.be/bj5IFq1eO3g