信教の自由はなぜ大切なのか

信教の自由の保障は、憲法第20条に規定されています。世界人権宣言B規約第18条にも規定されており、これは世界標準です。
しかし、信教の自由の保障は一朝一夕にできあがったものではなく、人類の歴史と共に築き上げられたものです。
ではなぜ信教の自由は保障されなければならないのでしょうか。
そこは、宗教の人間社会に対する役割や貢献を認識する必要があると思います。

社会には、様々な専門家がいます。事業家、政治家、学者、芸術家、医者などです。それぞれの専門家が、社会で一定の役割を担って専門性を発揮し、社会に貢献しています。サラリーマンやパートで働く方々も、その分野では専門家であると言えます。
宗教家も同様であって、やはり社会に対する役割があり、専門性を発揮しています。それでは、それはどのような役割なのでしょうか。

社会が円滑に運営されるためには、法律だけでは不足です。人間は機械ではありませんから、必ずしもルール通りに動くとは限りません。一人一人が、精神的な規範を持ち、自律性を持って社会活動をしなければ、必ず衝突が起きます。その精神的な規範が、良心作用です。良心作用が正常に働くためには、法律や経済では不足です。そこには倫理観が必要であって、法律や経済はむしろそれを補完するものです。そして、その倫理観を作り上げてきたのが、宗教です。

もちろん、宗教には様々なものがあります。日本には自然教とも言えるような、豊かな自然に育まれ、大いなるものに感謝するという文化があります。キリスト教やイスラム教は、荒野や砂漠のような、厳しい自然環境の中で生まれました。そこでの絶対者は厳しい存在であって、明確な人格を持った神を崇拝するようになりました。

環境や背景は違いますが、歴史の中で、宗教が人間の精神性、倫理観に対して及ぼした影響は非常に大きいものがあります。これを否定してしまうと、社会の精神性の根本が崩れてしまうのです。
このような宗教の社会に対する役割があるから、宗教の専門家たる宗教家が存在し、社会活動を行なっているわけです。

信教の自由については、憲法違反という法律面だけではなく、人間社会における役割や貢献という観点からも、論じられる必要があります。