昭和史 1926-1945(3)
前回に続き、3回目です。
1937年に日中戦争が始まり、1945年の太平洋戦争で終戦を迎える8年間で、日本は全てを失いました。
日本はどこで間違ってしまったのでしょう。
半藤氏は次のようにまとめています。
①国民的熱狂を作ってはいけない
マスコミが煽って国民が熱狂したから、マスコミが悪いと断ずるのは簡単ですが、マスコミをそうさせたのは、国民の意識の問題だと思います。
②危機において都合の悪い可能性を排除してしまう
負けた場合にどうなるかという想定をせず、現実逃避してしまうのは、現在に通じるものがあります。「やめる勇気」を持てないと、結局流されてしまいます。
③日本のタコツボ文化
軍の中で、周囲と違う異論を発言すると、浮き上がってしまい、正しいことが言えなくなってしまいます。組織の中で、自分に都合のいいグループでしか協議しないという風潮は、今でも日本のあちこちで見られると思います。
④何か問題が起きた時に対処療法的に対応してしまう
問題がおきると、とにかくすぐに結果が出る解決策を求めます。長期的な観点をもてず、短兵急に結果をもとめる結果、事態はさらに悪い方向に進みます。
日本文化のよいところは、目的を共有し、お互いに協力しあうところだと思います。言葉がなくても相手の気持ちを察し、思いやることができるのは、他の国にはない美点です。しかし、それは同時に異論を排除し、一面的になりやすい点があります。国民の熱狂は、そういう危険性をはらんでいるのです。
これは、自虐史観などではありません。過去に日本が、国民の生命と財産を全て失うような危機に瀕し、「一億総玉砕」などというスローガンで、負けとわかった博打に全財産を賭けるような愚を、二度と起こしてはいけません。日本の過去の歴史を学ぶことを、「自虐史観」などといって批判し、目をつぶろうとするのは、祖国を守るために死んでいった若者たちの命を、無にしてしまうことになるのではないでしょうか。
戦後、「戦争反対」などといって、自衛のための武力まで否定する運動が盛んでした。日本が太平洋戦争に突き進んだことへの反動でしょうが、それは無責任であり、逆の意味で危険です。ロシアの侵攻に対して、世界中がウクライナを支援するのは、ウクライナが自国を守るために、必死に戦っているからです。私は、自国を侵略しようという勢力があれば、日本は堂々と戦うべきだと思っています。
周囲の熱狂に左右されず、冷静に自分自身の考えを持ち、意見を交わすことが、とても大事なことだと、思っています。