自虐史観について

家庭連合は教義として、韓国に対して罪を犯したという自虐史観を持っているという批判があります。しかし私は、信教の問題と国家の歴史観は、切り分けて考えるべきだと思っています。歴史観は感情を含みやすく、難しい点が多々あるため、史実に基づいた正しい理解が大切だと思うからです。

日本は、かつて韓国を統治していました。1910年8月22日に「韓国併合ニ関スル条約」が締結され、統治は日本がポツダム宣言を受け入れて天皇が終戦を宣言した1945年8月15日まで続きました。
韓国国民がこれを受け入れていたかと言えばそうではなく、1919年3月1日に、「大韓独立万歳」を叫ぶ有志が全国で一斉に蜂起します。日本の韓国統治当局はこれに驚き、首謀者を次々に逮捕しました。
日本は、朝鮮半島は日露戦争以降、対ロシアや西洋列強に対する安全保障の要諦であって、日本の軍隊が駐留し、ロシアや列強の進出を食い止めなければならないと考えていました。

朝鮮半島だけではなく、日本は資源と市場を求めて中国大陸東北部にも進出していました。昭和恐慌に直面して国内が混乱する中、中国に駐留する陸軍(関東軍)が1931年9月18日の柳条湖事件(満州事変)を引き起こし、1932年3月1日に満洲国を設立しました。満州国は日本の傀儡政権でしたから、満州を実効支配することとなりました。

太平洋戦争が勃発したのは、日米交渉の焦点が、中国、朝鮮半島、東南アジアからの即時撤兵であったからで、日本はこれを受け入れることなどできず、外交努力虚しく開戦となりました。
その結果、日本は本土が空襲され、原子爆弾を落とされて、国土が焦土と化し、300万人もの日本人の命が失われました。そして、満州、朝鮮半島、東南アジアどころか、北方領土や沖縄(後に返還)などの固有の領土を失うこととなりました。
日本は、一体どこで判断を誤ったのでしょうか?東京裁判でA級戦犯として裁かれた、彼らが悪かったのでしょうか?

私は、1905年の日露戦争以降1945年の終戦までの40年間で、日本は何を間違えてしまったのか、真摯に振り返るべきだと思っています。そして、過去の事件について「自虐史観」などという言葉で目をつぶることには、大きな抵抗があります。マスコミも、日本国民全体も、太平洋戦争で連戦連勝していた時は、熱狂しました。しかし戦争に負けると、それを誰かのせいにして、何もなかったことにするのは、この戦争で亡くなった方々に対して、とても失礼なことだと思っています。

私の祖父は、満州開拓団として満州に行き、終戦時に当時小学生だった父を連れて帰国したそうです。父は生前このことについて殆ど話しませんでしたが、満州からの引き揚げの時は、大変な苦労があったようです。子供のころに聞いた満州の都市とは、「昌図」という都市だと聞いていたので、私はそこに行ってみました。20年以上前のことです。昌図市は住民のそのままの生活が残されていて、いろいろ昔話を聞くことができました。

私たちは歴史から学ばなければなりません。それは、日本側だけではなく、統治された側の人々にも耳を傾けるべきです。それは自虐史観などではなく、過去のことについて正しく理解し、同じことを繰り返さないためです。そのための知恵は、私たちに備わっていることを、誇り高い日本人として、私は確信しています。