天皇家
私は、天皇家を敬愛しています。
昭和天皇が、戦争末期の重要な時に、日本国民の命を守ったからです。
特に重要だと思うのは、1945年8月10日のポツダム宣言受諾を決した御前会議、8月15日の終戦の玉音放送、そして9月27日のマッカーサーとの会見です。
明治維新以降、多くの重要な決定が、天皇の名前で行われました。1941年12月1日の日米開戦の御前会議も、政府の決定を天皇が裁可する慣習に従ったものの、天皇の本心ではなかったとされます。むしろ昭和天皇は、一貫して戦争には反対であったとされます。そして終戦にあたって、昭和天皇は、命をかけて、国と国民を守ったのです。
1945年8月10日、日本に無条件降伏を要求するポツダム宣言を受託するか否かを巡っては、臣下の意見が真っ二つに割れて膠着していたところ、昭和天皇は御前会議において、国民の命と将来の国家の存続のために、ポツダム宣言受諾の意思決定をしました。天皇自らが政治的な判断を行うことは、異例です。しかしその判断がなかったら、さらに多くの日本人の命が奪われて、日本は再起不能となっていたかもしれません。
1945年8月15日、昭和天皇が直接国民に語りかけた「大東亜戦争終結に関する詔書」は、戦争で生命と財産を失った国民に思いやりながら、日本の将来と子孫のために、「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かんと欲す」ことを諭すものでした。この玉音放送がなければ、日本国民は希望を失い、自暴自棄になってしまい、戦後日本の再建は難しかったかもしれません。その玉音放送の録音が、宮内庁のHPに公開されています。昭和天皇の思いが伝わり、涙なくして聞くことができません。
https://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taisenkankei/syusen/syusen.html
1945年9月27日、マッカーサーとの面会の際、昭和天皇は、ご自身の命はどうなっても構わないから、国民を救ってほしいと、毅然としてマッカーサーに話したと伝えられます。マッカーサーはとても感動しました。そして、終戦に際して日本がほぼ無抵抗で連合軍を受け入れ、混乱なく戦後処理ができたのは、昭和天皇がいたからこそであることを、理解したのです。
日本という国は、家族のような社会です。家庭に親がいて、会社に社長がいて、国に天皇がいる、それは大切にするべき日本の伝統です。
そしてこれは、世界を愛する前に、まず国を愛せという、家庭連合の文鮮明師の教えそのものなのです。