親子

家庭連合の信仰の原点は、親子です。なぜかといえば、家庭連合で教える神の姿は、人智を超えた絶対者というよりは、愛する子を失って、その子を待ち続ける親の姿だからです。神は愛する対象として人間を創りました。その人間が神を離れてしまい、愛する対象を失った神は、悲しみの神である、というのが家庭連合の神観です。

だから私は、自分の子に対しても、まずは親子の情がつながっていることが、大切だと思っています。どんなに教義が正しかろうと、それが親子の関係の障害になるのなら、意味がありません。
同じ意味で、家庭連合の教義が間違っているとか反社会的であるとか言って、親が子を拉致監禁して思想矯正をするならば、親子関係に致命的な傷が入ります。

私の親は、拉致監禁はしませんでしたが、反統一教会派の話を信用し、私の話は信用しませんでした。それは私の責任なのですが、親子の間に第三者の独善的な価値観が持ち込まれると、関係が難しくなってしまいます。それは、宗教・反宗教を問いません。

だから、私は自分の子に信仰を強要しようとは思いません。親の姿を見て、家庭連合の教えがいいと思えば、神を信じたらよい。しかしそうでなければ、神を否定するかもしれない。子がどんな道を選択しようとも、親ができるのは、その人生を応援することくらいしか、ないんじゃないでしょうか。そんな切ない思いを持ち続けてきたのが、神なのだと思っています。