信仰と社会生活
私は、40年前の学生時代に家庭連合の信者となりました。そして会社に入り社会人になって、30年以上が経ちます。
入社して新人の時に、韓国での祝福結婚式に参加したので、当時の上司や同僚は、私が統一教会(当時)の信者であることを知ることとなりました。新人のくせに、数日間会社を休んでしまったので、さすがにきまりが悪く、出社時に同じ部署の方々にお詫びしました。当時の上司は、「韓国人の奥さんを連れて帰るのかと思ったよ、まあ仕事頑張りなさい」と笑って迎えて下さったのを今でも覚えています。
それ以来、会社への恩返しのつもりで、自分なりに一生懸命仕事をしました。職場で統一教会の宣伝はしませんが、私が信者だということは皆さん知っていますから、家庭連合の信者のサンプル位にはなっていたかもしれません。
会社の先輩には立派な方がたくさんいて、本当に多くのことを学びました。海外で仕事をする機会にも恵まれ、外から日本を見つめなおす機会にもなりました。3年前に早期退職制度で退職しましたが、会社には感謝しかありません。現在自営業で仕事ができるのも、仕事のやり方を教えてくれた、諸先輩方のご指導あってこそです。
人生において、信仰だけが全てではないと、私は思います。信仰がなくとも、理想や理念を共有できる人はたくさんいるし、学ぶことはたくさんあります。家庭連合の教義に、為に生きるというものがありますが、これは家庭連合の専売特許ではなく、人として生きるための汎用的な知恵だと思います。
私は宗教者であり、神とメシアを大切にしています。そして、信仰においては、人間の生き方として、どのように社会生活に活かし貢献していくのか、それが大切なことだと思っています。