韓国に嫁いだ日本の嫁

2009年に出版された文鮮明師の自叙伝に、こんな一節があります。(P225 - 227)

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私によく従ってきたとても英明な(韓国人の)青年がいました。結婚の時が来て、1988年に配偶者を求めたところ、相手は日本の女性でした。青年の父親は、「よりによって日本人を嫁に迎えなければならないとは…」と言葉を失ったそうです。彼は、日本の統治時代に徴用で連れて行かれ、岩手の炭鉱で強制労働に従事した人でした。仕事がとてもつらく、死を覚悟して炭鉱を脱出した彼は、下関まで数十日かけて歩いていき、釜山行きの船に乗ってようやく故国に戻ってきました。ですから、日本に対する憎悪は天にも届くかと思われるほどでした。

「このとんでもない親不孝者め! 我が家の族譜(家系に関する記録)からすぐに抜いてしまおう。我が家には一歩たりとも恩讐の国の女を入れることはできない。すぐに連れて消えてしまえ!おまえとは意見が合わん。家を出ようが死のうが、おまえの勝手にしろ!」

 父親の態度は強硬でした。しかし、成年は自らの意志を貫き、日本人女性と結婚した後、楽安(全羅南道)にある故郷の家に新婦を連れて行きました。父親は門も開けてくれませんでした。渋々二人の結婚を受け入れた後も、嫁に対するいじめは続きました。嫁がつらそうにしていると、「おまえたちが私にしたことに比べれば、このくらいは何でもない。こうなることも分からずに、この家に嫁にきたのか」と叱責しました。

 また、舅は、名節(正月や秋夕などの韓国の伝統的な祝日のこと)で家族が集まるたびに、日本の嫁をそばに座らせて、岩手炭鉱時代の話を繰り返し聞かせました。そのたびに嫁は、「お父さん。私が日本の代わりに謝罪します。申し訳ありませんでした」と涙を流して許しを請いました。日本の嫁は、舅の心の怨みがなくなるまで、幾度となく繰り返される話を最後まで聞いて、何度も頭を下げました。

 そうやって十年くらい経って、ようやく舅は嫁に対するいじめを止めました。恩讐に対するような冷たい態度が消え、嫁をかわいがるようになったので、驚いた家族が尋ねました。

「最近、嫁のことをどうしてあんなにかわいがるのですか。日本の女性なのに憎くないのですか」

「もう憎くはない。心の中に積もり積もった怨みはすべてなくなった。これまでだって嫁を憎んでいたわけではないのだ。徴用された時の怨みを嫁にぶつけていただけだ。この子のおかげで私の怨みがすべて解けた。これからは、私の嫁だからかわいがらなくては」

日本人が犯した罪を日本女性の嫁が代わりに償ったのです。人類が平和世界に向かう贖罪の道とはこのようなものです。
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これを読んで、「家庭連合は反日だ」と考えるか、「家庭連合は日韓の架け橋だ」と考えるかは、読者にお任せしたいと思います。

私は、この部分を読んで、涙が溢れてきました。そして、国家と国家の関係は、結局は個人と個人の関係であって、それを解く鍵は真実の愛だと思いました。