種の起原(下)
家庭連合の理論の、大きな特徴は、勝共理論であり、共産主義がいかに間違っているかを、理論的に説明しています。それを理解するためには、共産主義の根幹となる書籍を読む必要があると思い、資本論、共産党宣言、進化論と、読みました。
今日は、ダーウィンの進化論を論じた、主の起原の下巻です。上巻については、下記のブログに書きました。
https://www.ogasawara-church.jp/blog/20230112/530
ダーウィンの進化論により、神の創造は否定されたと、思われています。
実際、ダーウィンの研究の意図は、神を否定するところにありました。
一方、「人間の先祖がサルだなんて、ありえない」と言って、進化論を否定する人も少なくありません。
それに対しては、化石や、動物の体の痕跡に、そのようなものが残っているのは、事実であり、それを否定することは、非科学的である、と反論されます。
種が連続的に発展してきたことは事実です。そして、私も、人間も生物的には、他の種と同様の経緯を辿ってきたことは、間違いないと思っています。
しかし、ダーウィンの進化論の本質は、種の変異と生存闘争、すなわち自然選択のみで、生物は進化してきたというものです。
私は、これには同意しません。前回のブログで書いたのですが、合理的に考えて、高等生物の、あまりにも精巧なしかけを、自然選択のみで説明するのは、無理があると思われるからです。
そして何より、ダーウィンは、人間の霊性について、何も言及していません。
人間と他の生物を分ける、大きな違いは、霊性の存在です。人間の、お互いを愛する豊かな心情、大いなるものへの畏敬の念、永遠なるものへの憧憬などは、動物が持ち合わせていないものです。
このような、人間を人間たらしめる本質的なものは、理性が作り出したものと考えるのではなく、人間の肉体とは別の、霊的な実存があると考えるのが、自然です。それは、ダーウィンの進化論では、説明ができないものです。
人類が、生物として、ダーウィンの進化論の通り、自然選択説のみで発展してきたのであれば、人類は常に争い、勝ち残った優秀な人種が、他の人種を滅ぼすというプロセスが必要だし、今後もそれが続くということになります。戦争は、人類の発展のために、必要不可欠という結論になります。しかし、それは人類が望む世界ではなく、自己矛盾を起こしてしまいます。
神による創造説なくして、このような矛盾を解決することはできません。
ダーウィンの進化論は、現象として見れば、正しいように見えますが、結論ありきの理論であり、結果的に間違っているのです。