献金について

献金は、宗教において重要な行為です。

人間には所有欲がありますが、人々はそのために、人のものを奪ったり、場合によっては人を殺したりしてきました。そこで、多くの宗教団体では、自分の財産を捧げることによって、所有欲にとらわれない生き方を、教えの中に入れています。仏教で言えば、煩悩を取り払うための、お布施です。

家庭連合では、十一条献金といって、収入の十分の一を捧げるということを教えています。これは聖書から来る考え方で、キリスト教も同じように十分の一献金を教えています。基本的な考え方は、自分が受け取るものは、神のものであって、その十分の一を神に返すことで、残りのものを受け取ることができるというものです。

もちろん、自身の生活が成り立たなければ、元も子もありません。社会の中で生活する以上、まずは自分自身が自立することを目指すべきです。十分の一というのはあくまで目安であって、生活が収支ぎりぎりの状態で収入の1割を献金することはできませんから、できる範囲で行う、ということになります。私もそうしています。

それ以外に献金目標が立てられることもありますが、考え方は同じであり、できる範囲で行うということです。借金してまで献金するということは、不適切であり、行うべきではありません。

家庭連合において、献金を目的とした借金をさせたり、生活が成り立たないような献金をさせるような指導があったとすれば、それは改めるべきです。家庭連合は、複数の民事訴訟を提訴されており、それについては、教会改革を進めています。改めるべきことは改めることが大切だと思います。

献金は、あくまで本人が自らの信仰に基づいて、自主的に行うものです。多くの信者は、信仰に基づいて、喜んで献金しているのです。過度な献金は行うべきではないですが、献金そのものを全部否定するような、昨今の風潮は、信仰の自由を侵害する、大きな問題だと思います。