永愛

文鮮明師の長男文孝進氏は、2005年12月に、当時17歳であった長男の文信吉氏を、交通事故で亡くします。文鮮明師の次男である文興進氏が交通事故で亡くなったのも、17歳の時でした。文孝進氏は、親である文鮮明師ご夫妻が経験した子どもを失う哀しみを、ほぼ同じ状況で経験したこととなります。

文孝進氏は、このことに大きな衝撃を与えます。文信吉氏は、前の妻洪蘭淑氏との間の子どもです。文孝進氏は文信吉氏をとても愛していましたが、その長男を亡くすことで、自らを悔い改めます。そして、2006年1月1日から2008年3月9日まで、毎週日曜日にニューヨークのベルベディア国際修練所で説教をするようになりました。この本は、その内容を収録したものです。

それは、生きている間に息子に伝えられなかったものを残そうという思いからであったと、妻である崔姸娥氏が巻頭に書いています。本書に書かれてた内容は、「時間」、「永愛」、「悟り」、「神性」、「拡張」、「授受」、「変革」と、深い思索に基づいたものです。とても考えさせられます。

最初の説教のタイトルは、「人生の転機」です。そこに、このように書かれています。
「信吉の死は私を変えました。私を新しく生み変えてくれました。私は以前の私とは別人になりました。信吉が私を善人に変えたのです。私は信吉のためにも、さらに善人になっていくつもりです。」

その文孝進氏は、2008年3月17日、心筋梗塞で突如逝去されました。その4か月後の2008年7月19日、文鮮明師は搭乗したヘリコプターが墜落するという大事故に遭遇します。文興進氏が逝去した1984年1月の4か月後、1984年5月に何が起きたかと言えば、米国最高裁が文鮮明師の有罪判決を確定させました。

文鮮明師は、1984年の有罪の時に翌年釈放され、2008年のヘリコプター事故の時も無事生還しました。私には、二人の息子たちの孝行心が、文鮮明師をして生きて人類救済の事業をさせるようにしたように、思えてなりません。

文鮮明師ご家庭については、子どもたちが袂を分けてしまっていることが、よく指摘されます。しかし、その背景には、多くの事情があります。長男の文孝進氏が生きていれば、このようなことにはならなかったかもしれません。彼の45歳というあまりにも早い逝去が残念でなりませんが、同時にその名前の通りの孝行心に、深い感動を覚えるものです。