朝日新聞の中国侵略
歴史学者で一橋大学名誉教授、早稲田大学名誉教授である山本武利氏の著書です。
太平洋戦争前、朝日新聞は右翼、軍部から「国賊新聞」と言われ、攻撃が絶えない新聞でした。しかし1931年の満州事変以降、朝日新聞は軍部の方針に従い、「国策新聞」化していき、それと共に、大幅に発行部数を伸ばしました。(P46)
その象徴が、上海で1939年に創刊された「大陸新報」です。1937年の上海事変での日本に対する国際的な批判を回避するために、メディアを使って世論工作をするために作られた国策新聞であり、その母体となったのが朝日新聞です。
1939年は、上海、南京、武漢を占領した日本軍が中国全土の支配に向けて前進しようと意気盛んだった頃で、「大陸新報」はそれを後押しし、大幅に部数を伸ばしました。
本書は、「大陸新報」が朝日の「国策新聞化」を促進させる触媒の役割を果たしたと言います。「大陸新報」が高い収益をあげる新聞であると判明すると、朝日色を押し隠しつつ、一般紙を装ったブラック新聞への転換を進めた(P243)というわけです。
ところが、戦後、朝日新聞はその責任逃れをします。GHQへ提出した弁明書では、ぎりぎりまで太平洋戦争回避のための努力を行った最後の新聞であったと述べました。
「日本の最大の悲劇である太平洋戦争、その阻止に朝日新聞は全力を試みた。真珠湾奇襲の日、十二月八日附の朝日の紙面を見れば、誰もが朝日の平和的態度を諒解するであろう。が、戦争の進展とともに政府の言論統制は日とともに強化された。その間の朝日の態度は今日から見て些かあきたらぬものがあろうが、あの時、政府の命に反し独自の立場をとつたとすれば、すでに朝日の存立はゆるされなかつたのである。朝日新聞が他の諸新聞に比較して最も遅れて政府に追従したことは幾分その罪を軽くするであろう。」(P247)
しかし、これは言い訳です。なぜなら、朝日新聞は、少なくとも1931年の満州事変の頃から軍部に協力して、大きな利益を上げていたからです。政府言論統制を受けて戦争協力をしていたのではなく、戦争に便乗して利益拡大に走ったのです。
世論を煽って部数を伸ばし、国の方策を誤った方向に誘導し、失敗すると責任逃れをする。
このようなマスメディアの性質は、80年を経過した今日でも変わっていないのではないでしょうか。
国民に公正な情報を提供して、国民が正しく判断できるよう支援するのが、メディア本来の役割だと思います。