昭和史 1926-1945(1)

著者は、週刊文春、文藝春秋の編集長を経て作家として活躍した半藤一利氏です。映画化されて話題となった、「日本のいちばん長い日」の著者でもあり、一昨年ご逝去されました。

帯封に、「国民的熱狂は何をもたらしたのか?」とあるように、日本は国民全体が太平洋戦争につき進み、全てを失ってしまったという過去があります。なぜこのようなことが起きたのか、よく振り返る必要があると思います。

1928年6月4日(昭和3年)、東北の軍閥である張作霖が日本軍に対立するようになったという理由で、彼が乗った列車を、旅順・大連を拠点とする日本陸軍の関東軍が爆破するという、張作霖爆殺事件が起きます。軍の元帥である天皇の指示もなく勝手に軍を動かしたことで、昭和天皇はお怒りになりました。

しかし関東軍はこれにとどまらず、1931年9月18日に奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖付近で支那軍に満州鉄道を爆破されたと偽り、軍隊を進めて、一気に長春まで進出します。昭和天皇は一貫して戦争不拡大の指示を出していましたが、朝日新聞、東京日日新聞(現在の毎日新聞)は陸軍の活躍を大宣伝し、日本国民を煽ります。日本国民は提灯行列でそれを祝い、それを背景に陸軍は昭和天皇の意向に反して朝鮮半島に駐留していた部隊を満州に進出させます。これは天皇の統帥権を侵害する軍法違反です。

国際世論はこれを批判しますが、日本はついに1932年3月1日、旧清国の皇帝溥儀を皇帝とする満洲国を設立させました。当時大不況に見舞われていた日本では、マスコミが煽り立てて満洲国設立を祝賀しました。満洲への進出は、当初はソ連に対する国防目的でしたが、資源確保、拡大する人口の移住先、市場として日本にとって利益をもたらすものとされ、実際景気が回復したのです。

昭和天皇は一貫して戦線不拡大の方針で、側近にそれを指示しますが、それを不服とする青年将校が犬養毅首相らを暗殺する五・一五事件が勃発します。これはテロリズムですが、世論は同情して助命嘆願し、犯人の三上卓らは死刑を免れました。この後、挙国一致内閣が政治を担うようになり、日本の政党政治は意義を失います。

日本の満州進出に対し、英国・米国が中心となって、国際連盟が非難し、1933年2月に日本に対する撤退勧告決議をします。日本はこれを不服として1933年3月に国際連盟を脱退して、日本は国際的に孤立してしまいましたが、マスコミはこれを「栄光ある孤立」などと褒めそやしました。

昭和天皇はこれを憂慮しますが、陸軍将校たちが「君側の奸を除く」と称して1936年2月26日に大規模な軍事クーデター(二・二六事件)を画策、宮城内に押し入ろうとします。昭和天皇はこれを断固として制圧せよと毅然とした態度を示し、クーデターは鎮圧されました。

しかしこれ以降、政治家は軍部に対して何も言えなくなり、昭和天皇の戦線不拡大という方針にも関わらず、軍部が大陸への進出を推し進めることになりました。

日本は、何故国際社会からの孤立を選んだのでしょう。昭和天皇があれだけ、戦争不拡大の方針を伝えているのに、逆に天皇のご意向を封じ込めようと、クーデターまで起きてしまったのでしょう。

そこには、日露戦争以降、日本軍は強いという軍部の奢り、保身に走って正論を言わなくなった政治家、売上を伸ばすために陸軍のプロパガンダに乗っかったマスコミ、そしてそれを無批判に受け入れ熱狂した日本国民がいたのだと思います。

世論が無批判に一つの方向に流れていく時、そこには大きな問題が潜んでいます。物語はこの後、日本が泥沼の中国戦争にはまり込み、ついには太平洋戦争へ突入してしまった経緯に触れていきます。