背負うべき十字架がある

昨日のドラゴン牧師の動画は、いろいろと考えさせられました。
タイトルは、「背負うべき十字架がある」です。

マタイ福音書10章34~39節について語られました。聖句の内容は、下記の通りです。
「わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。
さらに、家族の者がその人の敵となります。
わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。
自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。
自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」

動画の中で、ドラゴン牧師は、文鮮明師の自叙伝を読み、文師はいわれのない悪口を言われ続けていたことに触れました。家庭連合の信者は、文鮮明師の名のゆえに、家族から反対され、人々から悪口を言われています。それは文鮮明師の弟子である証明であり、イエス・キリストの弟子であることの証明である、とおっしゃいます。
こういう言葉に、私たち信者はどれだけ勇気をもらうか、わかりません。私自身も実名でXでポストすると、いろいろな悪口を書き込まれます。私はアカウントをブロックしないので、書きたい放題となっています。大学で左翼学生と戦ってきたから、悪口を言われることには慣れています。大学で統一教会の信仰を持っていると公言したら、ほとんど全ての友人が去ってしまったという経験もあります。それがキリストと同じ道だとすれば、こんな光栄なことはありません。喜んで十字架を背負っていこうと思います。