死の棘 島尾敏雄

『死の棘』は、作家の島尾敏雄が書いた小説です。今回、この本を読んでみました。

読んだきっかけは、日本基督教団のホームページでした。

https://uccj.org

そこには「死の棘」という言葉が、「宗教と死」というテーマとともに紹介されていました。出典は、コリントの信徒への手紙一の15章54節から56節です。

これを見て、私は少し驚きました。実は高校時代にとても仲の良かった友人が、『死の棘』という小説を読んでいたのです。私はてっきりこの本のことだと思い、読んでみることにしました。当時の私は文学にあまり興味がなかったので、彼がなぜこの本を熱心に読んでいたのか、よく分かりませんでした。

改めて読んでみると、この作品は私小説で、作者自身の体験をもとに書かれた文学です。登場する「トシオ」は島尾敏雄本人で、妻の「ミホ」も実名で描かれています。

物語では、夫のトシオが浮気をし、その結果、妻のミホが嫉妬のあまり半狂乱になってしまいます。時代は戦後10年ほどで、日本はまだ貧しかったものの、復興に向かっていた頃です。

ミホは嫉妬に苦しむうちに心を病み、精神病院に入院することになります。その間、幼い子どもたちである伸三とマヤも、心が不安定になっていきます。やがて一家は精神病院にもいられなくなり、妻の故郷である鹿児島へ移ります。そして、少しずつ落ち着きを取り戻していくところで、小説は終わります。

この作品は、人間の結婚生活の地獄のような部分をえぐり出すように描いています。この小説だけを読むと救いがなく、人間の醜いところをそのまま突きつけられて終わるように感じます。家庭連合の信者の方に向けて言えば、創造原理、堕落論、復帰原理のうち、堕落論だけを突き詰めたような内容と言うと分かりやすいかもしれません。

ただ、解説によると、島尾敏雄は鹿児島に移った後、カトリックの洗礼を受けて信者になりました。『死の棘』というタイトルも、先ほどの日本基督教団のホームページにあった聖書の言葉から取られています。

では、「死の棘」とは何を意味するのでしょうか。それは「罪」のことです。コリントの信徒への手紙一15章54節からは、次のように書かれています。

「この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。『死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。』死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。」

この箇所で言われているのは、キリストは十字架で一度亡くなったけれども、肉体をともなって復活し、それによって罪を乗り越えたということです。つまり、死者の復活です。同じ15章の13節には、「死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです」とあります。キリストが肉体をもって復活したように、人間も肉体をもって復活できる、ということを語っているのです。

肉体の死と、その原因である罪を乗り越えることができる。これがキリスト教の大切な教えの一つです。罪の中にある生活は、まさに死んだような生活です。この小説では、不倫や浮気という自分の罪の中にいる状態が、地獄のようなものとして描かれています。しかし、イエス・キリストの救いによって、人は復活し、死を乗り越えることができる。タイトルにはそうした意味が込められているのだと思います。

この本を読んでいると、人間の醜いところが本当にえぐり出されるように感じます。そのため、これだけを読むと気持ちが暗くなってしまうかもしれません。それでも最後には、キリストによる救いがあり、そこから希望が生まれる。そういう内容なのだろうと思います。

私たちは、救いがなければ希望を持つことはできないと思います。だからこそ、救いの世界に希望を託して生きていくことが大切なのではないかと感じました。

動画はこちら
https://youtu.be/c2XOscRHMGU