韓鶴子総裁に対する教義的批判への批判

先日の動画に、韓鶴子総裁に対する教義的批判のコメントをいただいたので、今回はそれにお答えします。コメントをくださった方はアンチの方ではありません。どちらかといえば、教義の立場から今の家庭連合を批判している方々のお一人です。

いただいたコメントは次のような内容です。

「メシアと信じている方の言動を素直に見れば、メシアは韓鶴子オモニの誕生を『原罪あり』と認識していて、そのような御言葉をたくさん残されていたことが分かります。それなのに韓オモニの無原罪誕生説を広めることは、間違いであるだけではありません。韓オモニが原罪を持って生まれたと認識して語られた多くの御言葉を、嘘にしてしまいます。つまりメシアを大嘘つきにすることになり、メシアへの大きな冒涜です。韓鶴子オモニの無原罪誕生説をなくすことこそ、神様が一番切に願っていることだと確信しています。ぜひ深く議論し、検討してほしいと思います」。

この方は家庭連合の信仰を持っていた方だと思います。文鮮明総裁が聖和されたあと、韓鶴子総裁が今お一人で地上で指導されていることに反発を持たれた方でしょう。おそらくサンクチュアリ教会の方だと思います。

私はサンクチュアリ教会の方々とも交流があります。大阪時代にお世話になった教会長の方が今サンクチュアリ教会にいて、おそらく指導的な立場にいらっしゃいます。この方とは今でも年賀状のやり取りをしています。解説書のようなものも送っていただき、読んでいます。また、サンクチュアリ教会の中心である七男の文亨進氏の動画も「見てほしい」と言われるので、見ることがあります。その中には「韓氏オモニ」という表現が出てきます。残念なことに文亨進氏は、韓鶴子総裁をもう真の母と認めておらず、そのような考えを広めています。

解釈はいろいろありますので、そのこと自体をどうこう言うつもりはありません。家庭連合では彼らを「分派」と呼んでいます。しかし本人たちは自分を分派だとは思っていないでしょうから、私はあえてその言葉は使いません。ただし、この考え方には強く反対しています。

そもそも、韓鶴子総裁に原罪があるかないかは、議論してもあまり意味がないことだと考えています。というのも、「原罪」という考え方自体が、家庭連合独自の、かなり独特なものだからです。

『原理講論』での表現を見てみます。家庭連合の元のホームページは今ありませんので、それをコピーしたと思われるサイトを使いますが、文章は正確なのでそのまま読みます。「第一に原罪というものがあるが、これは人間始祖が犯した霊的堕落と肉的堕落による血統的な罪をいい、この原罪はすべての罪の根となるのである」。つまり、コメントの方が言う「原罪」とは、この血統的な罪のことです。

一方で、伝統的なキリスト教会にも他の宗教にも、こうした血統的な罪という概念はありません。プロテスタントでもカトリックでも、イエス様は神そのものです。父なる神と聖霊とイエス様は一体であり、その神が人間を救うと考えます。人間が救われる道は、血統の罪をどうにかすることではありません。堕落した人間を、神様の一方的な恵みによって救うというものです。血統を変えなければならないという発想は、伝統的なキリスト教にはないのです。ですから、この原罪の定義も家庭連合独自のものだと言えます。

では、家庭連合の中で血統的な罪としての原罪をどう考えるかです。神様と一体である文鮮明総裁と、同じく神様と一体である韓鶴子総裁によって、人間の血統が清められ、原罪が清算されます。これが家庭連合のとても独特な、ユニークな救済論です。ですから、どちらに先に原罪があったか、もともと原罪があったかどうかは、救われる側の私たちには本来分からないはずです。私たちにとっての唯一の解釈は、真の父母がいて、罪を清算し、救いの道に入るということです。どちらにもともと原罪があったかなどを私たちが詮索しても、仕方のないことです。

動画はこちら
https://youtu.be/dmaGhsYN7LI