中山達樹弁護士 鈴木エイト氏に対する侮辱罪は無罪判決
本日は、鈴木エイト氏が中山弁護士を侮辱罪で起訴した裁判の判決の日でした。私も傍聴の抽選に申し込みましたが、残念ながら外れてしまいました。後ほど双方が記者会見を行うようですので、その結果を待ちたいと思います。
判決の結果は、中山弁護士に対して無罪というものでした。検察側の求刑は罰金10万円でしたが、被告人は自身の行為は侮辱罪に当たらないとして無罪を主張していました。おかしな訴えに対して司法がきちんと対応したという点では、一定の評価ができるのではないかと思います。朝日新聞が報道しています。
https://www.asahi.com/articles/ASV9G351MV9GUTIL005M.html?ref=tw_asahi
記事の見出しは「鈴木エイト氏の侮辱に問われた弁護士に無罪判決 東京地裁」というものでした。旧統一教会の元顧問弁護士である中山被告に対し、東京地裁は16日、無罪の判決を言い渡しました。
問題となったのは、「匿名のジャーナリストは存在してはいけない」という趣旨の論評記事でした。簡単に説明すると、鈴木氏が匿名(仮名)で記事を書いていることに対し、実名を公表した上での、実態と責任を持った立場でなければジャーナリストとして活動してはいけない、というのが中山弁護士の主張の趣旨でした。
その記事の主張自体の是非はともかく、その中で書かれていた表現として、「オタク相手に一人マスターベーションするようにしこしこ書いて流言を下げていた」といった言葉や、「人格いじり」「おちゃり坊主」といった表現があり、これらが侮辱罪を構成するかどうかが争われました。
これが名誉毀損などによる民事訴訟であれば話は別ですが、今回問われたのは刑事事件として犯罪に当たるかどうかという点です。民事訴訟は、当事者同士がそれぞれの主張を平等に比較し、権利の調整を図るものです。一方、刑事事件は国家がその行為を罰するかどうかを判断するものであり、有罪となれば前科がつくという、非常に強い効果を持ちます。それだけの重みに値する事案なのかどうかが問われていたのだと思います。
「マスターベーション」という言葉は、確かに上品な表現とは言えないかもしれませんが、「自己満足」という意味で一般的にも使われる言葉です。たとえば「その映画監督の作品は監督自身のマスターベーションだ」といった論評も、比較的よく見られる表現です。そうした時に、これが人格への非難なのか、それとも論評なのかという点で、検察側と被告側の見解がぶつかりました。
検察側は、「マスターベーション」という言葉は鈴木氏を「人を傷つけて快感を得る人物」と表現したものであり、人格の非難に当たると主張しました。一方、被告側は侮辱しようという意図はなかったとして無罪を主張しました。弁護側は、両者の対立関係は読者にすでに知られているため、今回の記事が鈴木氏の社会的評価を下げることはあり得ないと主張しました。また、約2500字にわたる記事全体が「匿名のジャーナリストは存在してはならない」という文脈で書かれていたにもかかわらず、その一部の表現だけを切り取って犯罪とするのはおかしい、とも主張しています。
こうした論評が一部だけ切り取られて犯罪行為とされてしまうと大変なことになる、という趣旨の論評を、弁護士の鈴木翔平氏がX上で発表しており、非常に参考になる内容だと思いました。
https://twitter.com/lawyersuzuki/status/2100101040268001492
鈴木翔平氏は、ブログなどで「お直り」といった表現を用いて鈴木エイト氏の長年の執筆活動を批判した、かなり強烈な比喩による批判であったとしています。これが侮辱罪(刑事)に当たるのか、名誉毀損(民事)の問題にとどまるのかという点について論じており、こうした表現を文書全体の文脈から切り離さず、長年の言動を批判するための比喩として読めるのか、それとも単なる人格攻撃なのかを判断すべきだ、という論点を示していました。結果として、今回は無罪という判断になったということです。
実際、このような表現を文脈から切り取ってそのまま犯罪とされるのであれば、世の中は何も発言できなくなってしまいます。批判する意図がなかったとしても、犯罪だとされて逮捕されるようなことになれば、誰も物を言えなくなってしまうと思います。
鈴木エイト氏自身も、この判決についてコメントを出しています。同氏によれば、裁判所は「侮辱罪の構成要件に該当し、社会的評価を低下させる危険性がある」ことを認定した、としています。
https://twitter.com/cult_and_fraud/status/2100056020437590374?s=20
しかし、朝日新聞の記事を読む限りでは、そうした説明とは少し印象が異なります。裁判所は、あくまで社会的な論評であって個人攻撃ではなかったと判断したように読めますので、鈴木氏のこのコメントの書き方には、少し違和感を覚えます。
最後に、裁判長は中山被告人に対して、法律家として反省するよう促したとされています。ただし、前回の被告人質問の際に、中山弁護士はこうした表現を使い鈴木氏の感情を害したことについて謝罪の意を示しており、その点はすでに誠意を見せていました。そうした意味では、中山弁護士は認めるべきところは認め、認められない点は認めないという姿勢を貫いていたのではないかと思います。
私自身は傍聴の抽選に外れてしまい今回の判決の場には立ち会えませんでしたが、前回の被告人質問のやり取りを聞く限りでは、検察側もこれは無理筋の起訴だったのではないかと感じたのではないかと思いました。
検事は女性の方でしたが、「マスターベーション」という言葉には性的な意味があるのではないか、そうした意味を意識して使ったのではないか、といった追及を何度も行っていました。異性に対してこうした追及を行うのは、検事にとっても辛い立場だったのではないかと感じます。なぜ女性検事がこの担当になったのかは分かりませんが、こうしたレベルでの追及を検察として行うこと自体、少し行き過ぎだったのではないかと思います。
検察の起訴後の有罪率は99%程度と言われていますが、それを維持するために意地を張るのではなく、公平な視点で判断してほしいと思います。中山弁護士自身も下品な表現であったことは認めていますが、それだけで片っ端から侮辱罪として起訴され、即有罪となるような流れになってしまえば、日本国内の言論は大きく萎縮してしまいます。そちらの方がはるかに大きな問題であり、本件についてはこれで打ち止めとするのが良いのではないかと思います。
中山弁護士が、このようなことで有罪になり、仮に罰金刑であったとしても前科がつくことがなかったのは、非常に良かったと思います。これに屈することなく、今後も言論活動を続けていってほしいと思っております。
動画はこちら
https://youtu.be/Z7B_8aEC2Uo


