石破前首相 全国戦没者追悼式での「反省」について

8月15日、全国戦没者追悼式が毎年行われておりますが、その中で高市首相が「反省」という言葉を使わなかったことについて、石破首相がコメントをしています。ちょっと見てみたいと思います。これは8月21日の東スポWEBですが、「高市首相が用いなかった反省の言葉、石破首相『本当になくていいんですか』」という見出しです。
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/400297

これについて石破首相が何と言っているかというと、高市首相は石橋政権が13年ぶりに盛り込んだ「反省」という言葉を使わなかった、と。それに対して記者が「反省という言葉をもう一回使うのに強い思いや決断はありましたか」と質問しています。

これは何を言っているかというと、石破首相は昨年、野田佳彦元首相以降13年ぶりに「反省」という言葉をこの式典で使ったんですね。これも見てみたいと思いますが、令和7年度全国戦没者追悼式・内閣総理大臣式辞の中に、「あの戦争の反省と教訓を今改めて深く胸に刻まねばなりません」と書かれています。
https://www.kantei.go.jp/jp/103/statement/2025/0815shikiji.html

この言葉は、野田佳彦氏が2012年に使った「反省」という言葉ですが、その後、安倍元首相、それから岸田元首相はその言葉を使いませんでした。それを石破政権が13年ぶりに盛り込んだ、ということです。石破首相はそのときのことを言っているわけですね。「安倍総理、岸田総理と反省という言葉が出なかったけれど、それは本当になくていいんですか」ということを述べています。

さらにこう続けています。「ドイツを例に挙げると、ヒトラーが自決して後継いだけれど、連合国はそれを認めなかったから、ドイツという国は一回終わっている。あそこで一回分断されていて、今のドイツは連続性を持たない。だから、みんな禍根が悪いんだという話になる。だけど日本の場合は、戦前の大日本帝国を日本国民が継いでいる」と解説した、ということです。

ドイツに対して「一回終わっている」「一回分断されている」という言い方もすごく失礼だと思いますが、日本が分断されなければいけないんだ、一旦そこで終わっているんだ、という考え方自体がやはりおかしいと私は思います。なぜそんな言い方をするのでしょうか。日本はずっと一つの伝統文化を持っていて、それを大切に大切に引き継いできたわけです。ところが戦後、それを破壊しようとする左翼勢力などがいて、それに対して一生懸命その伝統を守ろうとする人たちもいるわけです。そうした人たちに対して、「いや、もう終わっているんだから」「過去の日本はなかったことにするんだ」「新しいものに作り替えるんだ」というような言い方は、言葉としては綺麗に聞こえるかもしれませんが、それは違うと思います。日本の伝統文化の積み重ねの上に立って新しいことを模索するのであって、そこで一旦分断されている、一回終わっているというようなことは絶対にありえないはずです。

これをよりによって首相が言ったということに、私はこの件があるまであまり気づきませんでしたが、非常に不覚だったと思います。国の総理がそんなことを言ってはいけない。しかも、それを言ったのがどこかというと、全国戦没者追悼式なんですね。全国戦没者追悼式は、まさに国のために尊い命を捧げられた方々、あるいは戦火によって命を落とされた方々、そういう方々に思いを馳せる場です。そうした方々に対して、「あれは日本が悪かったんだ、だから殺されて当然なんだ」というような言い方はありえないのではないかと思います。

「反省と教訓」という言葉について、反省がなければ教訓は得られないというのは確かにそのとおりかもしれません。しかし、その「反省」という言葉を、過去の日本を全否定するような文脈で使ったのだとすれば、それはとんでもないことです。石破首相が一年経った後にこういう言い方をするというのは、私はありえないのではないかと思います。もちろん過去にはいろいろな問題や過ちがあったかもしれません。しかし、ずっと築き上げてきたものを否定しようとするのは、もはや政治的なプロパガンダでしかありません。「過去の日本が過ちを犯したのだから、それはすべて否定して、新たに人民による政治をするんだ」というようなことをしてしまうのであれば、本当に日本の良さ、日本の強みといったものがすべて失われてしまいます。そういったことはあってはならないと私は思う次第です。

動画はこちら
https://youtu.be/YrQPvbQdeBU