Moonism 1984.6 全国の反原理組織

もう40年以上前のことになりますが、私が学生時代、東京大学をはじめ全国の大学で、左翼の学生組織が家庭連合の学生組織である原理研究会に対して暴力的に排除しようとする活動が行われていました。それに対し、全国原理研究会連合会が資料を出していたのですが、その資料が最近出てきましたので、ご紹介したいと思います。

https://www.ogasawara-church.jp/wp-content/uploads/2026/08/Moonism-198406.pdf

これは1984年6月のものです。当時はまだソ連が力を持っており、共産主義がとんでもなく拡大していた時期でした。私が大学に入ったのはその三年ほど前のことです。

この時の特集記事のタイトルは「反原理組織の全貌を洗う」というもので、セクト別に見た実態や、反原理を主目的に置く団体の一覧が掲載されています。これは画期的な資料で、どの団体がどのような仕組みで学内において活動していたかがまとめられています。冒頭部分を少し読んでみます。

「宗教的に崇高な理念を持ち、共産主義を痛烈に批判する原理研究会は、大学の民青(日本共産党の学生組織)あるいは熱心な左翼、あらゆる左翼勢力から目の敵にされやすい。特に77年以降、いくつかの大学で作り上げられた反原理を旗印とする組織は、そのほとんどすべてが政治色の強いものであった。」

大きな流れとしては、日本共産党系の民主青年同盟(民青)が、東京大学においては学生自治会を掌握していました。これに対し、暴力革命を目指す団体として革マル派や中核派があり、革マル派は特に早稲田大学で力を発揮していました。また別の流れとして共産主義者同盟(ブント系)があり、その中にもいくつかの分派が生まれていました。これらが連合し、さらに反原理の組織をつくっていたのです。そこに朝鮮総連系、つまり北朝鮮系の組織も加わり、こうした勢力が連合して原理研究会を迫害するという構図でした。

資料には各大学における主な反原理団体の一覧があり、それぞれの大学でどのようなことが行われてきたかが記されています。東京大学の例を見てみます。1977年、学園祭である駒場祭に原理研究会が参加していたところ、反原理を掲げる団体がなだれ込んできて会場を荒らしたという記録があります。その後、学生自治会の各クラスやサークル団体からの代表者が集まる自治委員会に、オブザーバーとして参加していた原理研究会のメンバーが暴行を受けるという事態も起きています。

私が大学に入学したのは1982年ですが、その年の6月5日には、共産圏研究会が行ったポーランド問題に関する講演会を左翼勢力が暴力的に荒らし、会場を占拠する事件がありました。私は入学したばかりで、何が起きているのかよく分からないまま見ていたことを覚えています。

さらに1980年12月から1983年2月にかけて、原理研究会のメンバーが至る所で暴行を受けたという記録が残っています。1982年11月には、原理研究会のメンバーが、左翼の拠点であった駒場寮に対して抗議に行ったことがあったのですが、何もしていないにもかかわらず、これを「襲撃事件」として大々的に宣伝し、「駒場寮襲撃事件を許すな」というキャンペーンを口実に、原理研究会のメンバーが激しく殴る蹴るなどの暴行を受けたのです。

1983年5月17日には自治委員会において暴行事件が起こり、5月24日の自治委員会では強制排除が行われました。この頃から、原理研究会のメンバーは自治委員会や各クラスの代議員大会といった公式の場から徹底的に排除されるようになりました。これは完全な言論封鎖であり、本来あってはならないことですが、当時の東京大学の学内で平然と行われていたのです。

1984年5月時点での各セクトの関係を見ますと、日本共産党系の民主青年同盟が各大学の自治会を掌握しており、それとは別に革マル派、中核派が存在し、さらに武装革命を目指す共産主義者同盟(ブンド)や共産主義学生同盟などの分派もありました。これらの中に「反原理共闘」という組織があり、東京大学の中で暴力を行使していました。日本共産党系と、武装革命を目指す過激派は本来対立関係にあったのですが、反原理という点では行動をともにしていたのです。

実際に排除がどのように行われたかについては、東京大学のケースを取り上げた論文も書かれています。1979年6月15日には東大新聞主催のキャンパス講演会が行われ、「ノンセクト」を名乗る学外の団体が、青山学院大学、明治学院大学、慶應義塾大学などから約30人を学内に導入し、ヘルメットやタオルを着用して情宣カーまで持ち込んだとされています。このあたりから暴力的な実態が明らかになっていきました。

自らの暴力行為に対して、日本共産党系の民青は「暴力反対」を路線として掲げていました。これは当時の日本共産党の戦略で、平和を訴える立場を演出していたわけですが、それでは彼らが原理研究会に対する暴力を実際にどう扱っていたかというと、むしろそれを利用して迫害を続けたのです。資料には次のように書かれています。

「数限りない暴力、破壊行為を原研は受けてきtのであるが、こういう暴力集団=反原理共闘の暴力を利用してきた自治会執行部=日共=民青の存在を忘れてはならない。口先では「暴力反対!」などとポーズを取るが、実質的には反原理共闘らを泳がせ、原研の言論・思想弾圧をまんまと貫徹してきたのが日共=民青だった。」

こうした原理研究会への攻撃の理由として当時挙げられていたのは、KCIA(韓国中央情報部)の手先である、公安警察のスパイである、右翼の政治謀略団体である、民主主義の仮面をかぶった自治破壊集団であるといったもので、「原理は殺してもいい、望むなら屑箱に入れてやる」とまで公言されていました。これらの攻撃理由は、現在家庭連合が解散させられる際に挙げられている理由とは全く異なります。つまり理由は何であってもよく、とにかく潰すという点だけが40年間一貫してきたと見ることができます。

KCIAの手先である、統一教会はKCIAが作った組織だ、といった主張は事実とは異なります。むしろ韓国政府は家庭連合を目の敵にしてきた経緯があり、現在も総裁が逮捕されるなど、政府から敵視されている団体です。公安警察のスパイという主張についても、公安警察を含む国家権力からここまで追いやられてきた団体がなぜ公安警察のスパイなのか、理解できません。右翼の政治謀略団体という主張についても、実際には右翼的な団体ではありません。民主主義の仮面をかぶった自治破壊集団という主張についても、実際にはこちら側の言論こそが破壊されていたのであって、原理研究会側に何か問題があったわけではなく、単に原理研究会を排除することが目的だったに過ぎません。理由は何でもよく、とにかく潰すこと自体が目的だったということが、一貫して続いてきたのだと思います。

当時、一般の学生たちはこうした状況を見て見ぬふりをしており、暴力が行われていても遠巻きに眺めているだけでした。「原理研究会の言っていることも正しいのではないか」と声を上げる人は、私の知る限りいませんでした。現在は「家庭連合の解散命令はおかしいのではないか」と言ってくださる方々がいることを考えると、状況はいくらか変わってきているのかもしれませんが、当時はとにかく皆が遠巻きにするだけでした。

その頃の学生たちは、現在社会に出て政治家や官僚になったり、各界で社長やリーダーになったりしています。つまり、原理研究会は悪い、統一教会は悪であるという一方的な見方を刷り込まれた人たちが、今の日本社会を動かしているという構図があります。

例えば、昨日お話しした最高裁判事の沖野眞巳氏も、東京大学法学部長を務めた後に判事になり、家庭連合に対して批判的な言動をされてきた方で、解散命令に関しても、決定文に署名はないものの、関与されたとみられます。裁判所のホームページによれば昭和39年1月生まれとのことで、私と同学年にあたります。つまり私と同じ時期に学生生活を送っていたわけで、こうした原理研究会に対する不当な暴力的攻撃について、知らなかったはずはありません。そうした方が今、最高裁の判事としてさまざまな判断を下しているのです。沖野氏だけではなく、多くの方々が、当時の学生時代に見てきたことが判断の土台になっているのではないかと思います。

こうして考えると、大学において言論への攻撃が行われ、その中で左翼的な活動がどんどん広がっていってしまったことが、今日につながっているのだとすれば、非常に残念でなりません。ただ、当時と違って現在は「これはおかしい」と言ってくださる方々が一人二人ではなく、どんどん増えてきています。そうした方々を大切にしながら、私たち自身もおかしいことはおかしいと言い続けていかなければなりませんし、こうした記憶を風化させずに継承していくことが大切ではないかと思っております。

動画はこちら
https://youtu.be/OMdayayy-pY