生殖器の主人は結婚相手

昨日は、「過激な性教育から子どもを守る」というテーマでお話ししました。今回は、では私たちはどのような考え方を持てばよいのかについて、宗教的な観点から一つの考え方をご紹介したいと思います。

家庭連合の創始者である文鮮明総裁の説教集『天聖経』には、「男女の誠の愛と誠の結婚」に関する内容があります。その中に、次のような趣旨の言葉があります。

天聖経第四篇第四章第三節「男女の真の愛と真の結婚」第9項(P466)
「男性は女性のために生まれました。また、女性は男性のために生まれました。ですから、男性の生殖器と女性の生殖器は自分のものではありません。神様は知恵深い方です。主人を入れ替えておいたのです。統一教会では、浮気することを絶対に許しません。」

これは、自分の生殖器を自分勝手に扱うのではなく、結婚相手との誠実な関係の中で大切に扱うべきだ、という考え方です。

例えば、夫が他の女性と不倫をすることは、本来妻との結婚関係のためにあるべきものを、別の目的に用いることになります。妻についても同様であり、夫婦の信頼関係を裏切る行為は許されない、ということです。

この表現は独特で、初めて聞く方には唐突に感じられるかもしれません。しかし、よく考えてみると、不倫を防ぎ、夫婦の信頼を守るための一つの強い考え方であるとも言えます。

また、同じ節の第12項(P467)には、男性と女性の関係について次のような趣旨の内容があります。
「なぜ男性が生まれたかということが問題なのですが、男性のためではなく、女性のために生まれたのです。男性にとって最も重要なのは女性です。女性も、自分のために生まれたのではありません。生存の期限が自分ではなく、男性なのです。女性が女性として生まれ、もっているその美貌は自分のものではありません。胸は女性のものですか。大きなお尻が女性のものですか。女性のためにそのように生まれたのでしょうか。男性のために生まれたのです。また、男性の肩が大きいのは、威張って力を振るい、暴力の魁首になれと言ってそのようになったのではなく、女性を保護するためなのです。それで女性はお尻が大きく、男性は肩が大きいのです。そのようになってこそバランスが取れるのです。
生まれたのは自分のためではありません。自分のために生まれたと主張するようになるとき、真の愛はすべて破綻してしまうのです。真の愛は神様から始まりました。人類のためにいらっしゃる神様です。神様の愛は、与えて、与えて、与えて忘れてしまうのです。それが真の愛です。」

ここで重要なのは、特定の宗教教義をそのまま受け入れるべきだということではありません。大切なのは、「自分のためだけではなく、相手のために生きる」という考え方です。
男性が女性のために生き、女性が男性のために生きようとする時、夫婦関係はより深まり、家庭も成り立っていくのではないでしょうか。もちろん、夫婦生活にはさまざまな制約や努力もあるでしょう。しかし、それらを幸せな家庭という、より高い価値のために捧げていくことが大切です。
世の中の良い夫婦は、必ずしも特定の宗教を信じているわけではなくても、お互いを思いやり、自分の欲求だけを優先せず、相手と家庭のために尽くしているのではないかと思います。

不倫を行い、自分の欲望のままに生殖器を他の目的に用いることは、夫婦の信頼と家庭を傷つけます。一方で、結婚相手を尊重し、互いに誠実であろうとするならば、理想的な家庭に近づいていけるのではないでしょうか。
これは家庭連合の教義に従ってほしいという趣旨ではありません。一つの参考として、このような夫婦観や家庭観があってもよいのではないかと思い、ご紹介しました。

動画はこちら
https://youtu.be/Bz_JfKVE-nk