知性と霊性は、共に大切

私は、家庭連合の信者でありまして、ひとりの宗教家と自認しておりますけれども、宗教家の価値観からして、霊性というものは、とても大切です。それと同時に、現実社会で大切なのが知性で、両方が共に大切だと考えております。

特に西洋では、近代から現代にかけて、知性が非常に重要視されてきました。知能で理解できないもの、知性で理解できないものは、認識できないとして、価値が下げられてきました。例えば、霊界のこと、死んだ後の話、あるいは人間の魂そのもの、そういったものは、科学的に分析できないので、意味がないものだと、こういうふうにされてきたわけです。

しかし、それは科学者のアプローチですが、宗教家のアプローチというのは、死後の世界があり、そして目に見えない性質のものがあり、それが尊いものだという、そういう価値観があって、共に大切なものだと思っています。

霊性でしか解決できない、認識できないものもあるし、あるいは知性で納得できなければ認識が難しいもの、そういったものがあるんじゃないでしょうか。

知性が大事だというのは、近世から現代にかけて、重要視されてきたものです。
いろんなことがあったとしても、その科学的な論拠があり、科学と言っても、仮説を立てて、それを証明する証拠を集めていくということですが、そういう科学的なアプローチにおいて認識されるもの、これで人間の知性における認識が広がってきました。地球は回っているというところから始まって、宇宙の構造とか、もう100億光年向こうの宇宙のことまでわかる、あるいはミクロの世界で行けば、人間の細胞の構造、原子の構造、さらには原始の中の素粒子までわかってきたと、そういうことです。
しかし、それをいくら辿っていったところで、人間の霊性そのものを理解することは、できないわけです。

私も昔、高校の時に、友達と議論したことがあって、徹夜で議論したんですけども、彼は人間の霊性というのは、要するに脳みその構造だから、脳みそを極限まで解析して行くと、人間の思想そのものが分析できるんじゃないかと、そういうふうに私の友達は言っていました。彼は、今では精神科医になって、その分野で大活躍していて、医学で突き詰めるところを、どんどん突き詰めていこうとしているわけです。

私は、人間の魂とか、そういったものは、科学だけでは解決できないものもあって、死後の世界の事なんか絶対分かんないし、死んでみなければわからないと思っています。

私は今でも、死んでみなければ、実際何が本当のことなのかわからないと思っております。けれども、ただ分からないだけだと、一生を終えてしまったときに、間違っていた、ということもありえるわけですから、私は霊界の存在を信じて、霊界というのはどういう構造なのか、人間の生前の生き方と霊界はどういう関係になるのか、そういったことを統一原理を聞いて、なるほどと思い、そのことを検証しながら日々を歩んでいるといういうことです。

だから、実際のところは、霊界に行ってみなければわからない。無いかもしれませんね。それでも、あると思ってその前提で生きていこうと考えているわけで、その生き方そのものが、やはり霊性を大切にする生き方です。

人間が生きて行くのは、イエス様がおっしゃった通り、パンのみにて生きるものではないと言うことかなと思っていて、それは正しいんじゃないかと思って、日々を歩んでいくいうことです。

ですから、霊性と知性、この二つは共に大切なものであって、どっちかだけで生きて行く、現実を無視して生きてたって、生きること自体が難しいわけですし、人間生活というものがありますから。しかし生活だけに追われて、霊的な大切なものを、おろそかにして生きていくということも、これもできないなと思っているわけです。

統一原理の中には、宗教と科学を統一した課題として解決するということが書いてあります。私は到底そんな境地には至っていないわけでありますけれども、そういう価値観を大切にして行こうと思っています。

そこにこそ、信教の自由の価値が、なぜ信教の自由が大切なのか、霊性を解いていく、そういう宗教の存在は決してないがしろにしてはいけないと、その思いから日々生活をしている次第です。

動画はこちら
https://youtu.be/8OsMpnRTZqk