国から追われる愛国者とは

家庭連合の信者として、私ももう40年以上信仰生活を続けておりますけれども、私たちが何のために生きるかといったら、自分たち個人のためではないと、やっぱり国のため、それから世界のためということで、ずっと一貫して生きてきました。だから、私は今でも、自分は愛国者であると、日本の国のために生きてきたことを、誇りに思っておりますし、今後も多分そうであろうと思っております。

ただ、その日本の国家が、よってたかって権力を総動員して、私たちの教会を奪い、私たちの財産を奪い、さらには反社会的団体というレッテル貼りをしてきたということは、慙愧に堪えない、というよう思いでええあります。非常に残念であり、遺憾であるということです。

歴史を振り返ってみて、こうやって国のために生きてきたのに、その国から裏切られて排除されてきた例というのは、いくつかあるわけですけども、ここではジャンヌ・ダルクについて考えてみたいと思います。

ジャンヌ・ダルクというのは、1412年、15世紀の最初のころ、フランスに生まれた少女です。フランスは当時、イギリスとの間で百年戦争という戦争をしていて、イングランドの攻勢にあって、大変な状況にありました。その中の拠点の一つであった、オルレアン城というのがあって、そこにフランス軍が追い詰められていたという状況でした。

そこで、17歳のジャンヌ・ダルクは神の声を聞いて、このオルレアン城を解放せよと言われて、思い立ったわけです。それで、絶対にフランスはイングランドに対して、私たちの誇りを失っちゃいけないと、そういうことを言って、甲冑、鎧を身にまとって、フランスのオルレアン城を守っていたフランス軍を鼓舞したというわけです。そして、オルレアン城を包囲していたイングランド軍を突破して、勝利に導いたという話です。

そして、フランスのシャルル七世が無事即位をすることができたのは、まさにジャンヌ・ダルクの活躍によるものでありますけども、その後ジャンヌ・ダルクは、イングランドとの戦いの最前線で捉えられてしまうわけです。

当時シャルル七世、フランスの王様は、イングランドとの間でこれ以上戦争をしたくないという周囲の側近に唆されて、ジャンヌ・ダルクがいると結局イングランドとの間での揉め事の材料になってしまうということで、捉えられたジャンヌ・ダルクを解放するための、当時の身代金を払わないと、ジャンヌ・ダルクの身柄は好きにしてくれ、ということをして、見放したわけです。

その結果、ジャンヌ・ダルクは、イングランド軍にとらえられ、その後異端と決めつけられました。ジャンヌ・ダルクは男装して戦ったのですが、それは教えに背くものだと、言ってみれば魔女狩りが当時流行していましたから、魔女として火あぶりの計で処刑されてしまったのです。

要するに、国のために、国を救えとお告げを受けて、国のために戦って、そして国から裏切られて、最後は魔女として火あぶりの刑で死んでしまうという、なんとも悲しいというか、悔しいというか、これぐらい残念なことはなかったわけですが、ただ、ジャンヌ・ダルクはその後、フランス国民から英雄として見直されて、異端審問を受けたわけですけども、異端という汚名を解除されて、20世紀に入ってから、なんと聖女としてカトリック教会で列されているということのようです。

だから、一応名誉は回復したんですけども、しかしそれは後の話であって、当時国を愛したにもかかわらず、その国から裏切られて火あぶりの刑にあったジャンヌ・ダルクの心境は、いかばかりだったかと、こういうことを考えると、ジャンヌ・ダルクのような立派な方とは比べるべくもありませんが、国を愛したにもかかわらず、国から排斥され、犯罪人のような汚名を着せられて、踏みにじられるという、その思いというのは、私たちも忸怩たるものがあります。

ただ、そうだからと言って、国を憎むことができるかというと、それは違います。個人的な思い、私たちの思いというのは、国を大事にしようという、その気持ちは、変わることはないのです。なぜかというと、私たちは信仰者であって、私たちの教えは、国を愛せというものであるからです。だから、こういう過去の、国を愛してしかもその国から裏切られた人々の思いを背負ってでも、私たちは信仰的な立場で、国を愛していくというその気持ちを失うことはできないのです。 これからも、そういう生き方をしていきたいと考える次第です。

動画はこちら
https://youtu.be/6M58DJscDRY