「許せ、愛せ」を言い訳にしてはいけない

文鮮明総裁の有名な言葉に、「許せ、愛せ、団結せよ」という言葉があります。これは、「恩賞を愛する」という言葉でも伝えられていますが、この言葉をもって、家庭連合の信者が解散にあったとしても、それでも相手を愛するべきだと、許すべきだという文脈で使われるとすれば、それは全然違うと、趣旨が違うということです。

Xとかでも、そういう言葉が言われて、これも耐えないといけない、受け入れないといけない、なぜなら私たちは許せ、愛せという思想だからと、こういうことを言ってはいけないと思います。

もしこれが、国の決定が正しいことであって、私たちが受けいれるべきだということであれば、そういう理論を成り立つかもしれませんが、この裁判は間違ってるんです。間違っているものに対して、その通りだと言って、それに対して問題点を指摘もしないということは、当事者がしてはいけないわけです。間違っているものは間違っていると、一番言わないといけないのは、この決定によって被害を被っている私たち自身です。

もしそれを言わないで、放置しておくならば、それは結局私たちを応援してくださっている方々に対する裏切りだし、何よりも日本の国にとって、ためになりません。結局それは、愛していないのです。本当に国を愛するんであれば、おかしいことはおかしいと、正すべきは正すと、こういうことを言っておかなければ、絶対にこの問題は将来に禍根を残します。こんなことを言われても、結局信者が受け入れてたんだから、やっぱりこれが正しかったんだ、みたいな印象を世間に与えてしまったら、これは絶対に日本の国にとって、ためにならないんですね。

だから、許せ愛せという、その言葉だけで今の状況を受け入れてはいけない、言うべきことは言う、正すべきは正す、それをしていかなければ、本当の意味で愛したことにはならない、結局自分たちが何もしない、逃げてしまうことの口実にしかなってないのであれば、それは良くないと思うわけです。

そういう趣旨をもって、これからも私たちは、正しいことは正しい、言うべきことを言う、この姿勢を貫いていきたいと思う次第であります。

動画はこちら
https://youtu.be/V4NTyWdiisc