いじめの構造 負けるな、負けるな

家庭連合の信者は、最高裁判所から解散が確定されて、まるで社会から排斥されされるような、排除されるような状況になっています。これは、社会がよってたかっていじめているのと一緒です。

私たち家庭連合の信者は、社会に反することなく生きてきた、そういう自負があります。私なんかもそうですが、それにもかかわらず、よってたかって「反社会的団体だ」とか言われているわけです。しかし、こういうことに、負けてはいけないと私は思います。

いじめというのは、どういう構造になっているかと言うと、いじめる側は、いじめる相手が怯えて縮こまってしまうと、ますます図に乗って、かさにかかっていじめてくるくるというのがあります。それは許されないことですが、現実の社会構造だと思います。

子どものいじめというのが、社会問題になることがあります。学校でのいじめを止められなかった先生が責任に問われたりしていますが、そもそも大人同士だって、いじめはあると思います。小さな集団で、ある人が何かの問題で浮き上がってしまうと、よってたかって非難して排斥するという構図は、どこにでもあります。子どものいじめは、その縮図のようにも思えます。

家庭連合の信者も、ただ信者だというだけで、所属しているグループから排斥されることがあります。大学時代、私は自治会の自治委員をしていましたが、信者だと公表したとたんに排斥されました。サークルを作ったところ、そこからも排斥されました。現在、家庭連合の信者が直面している問題は、まさにこういうものだと思います。

いじめの構造というのは、誰か周りと違っていて、弱い者がいたら、みんなで寄ってたかってそれをいじめてしまう現象です。その人をかばおうとすると、「おまえは何で味方をするんだ」といって、その人もいじめられてしまいます。だから、怖くてかばうことすらできなくなってしまう。結果、いじめられる人は、ますます孤立して、逃げ場を失ってしまう。それが、今家庭連合の信者がおかれている立場です。

実はわたしも、小学校のときにそういう経験があります。地元のいじめっ子で、ガキ大将みたいなのがいました。ドラえもんのジャイアンみたいな子です。取り巻きも何人かいましたね。私はそいつから目をつけられて、小学校三年の時ですが、いじめまではいきませんでしたが、殴られたことがあります。私はその時どうしたかと、歯向かって喧嘩になったんですね。すると、学校の先生が仲裁に入って、1対1で正々堂々と戦え、周りの子は手を出すな、みたいなことをしたのです。先生公認のタイマンでした。今だったら、そんなことをその先生は懲戒ものかもしれませんが、昔はそんな感じでした。結局私はそいつに組み伏せられて、負けちゃったのですが、それ以降はこのガキ大将は、私には手を出さなくなりました。

そういう経験があるので、相手が強かろうとなんだろうと、自分自身が逃げずに戦えば、たとえぶん殴られようが、何しようが、それ以上はやられることはない、という思いがあります。これは、家庭連合の信仰がどうのこうのではなくて、私自身の人生観ですが、それほど間違ってはいないと思います。

いじめというのは、どこでもあります。大事なのは、逃げずにファイティングポーズをとり続けることだと思っています。相手は大勢で、力でねじ伏せようとしてきますが、こちらが戦う姿勢をやめなければ、それ以上やられることはありません。恐ろしいのは、自分自身が心で負けてしまって、戦うのをやめてしまうことです。そうすると、相手はこちらが完全に死んでしまうまで、攻め続けてきます。いじめの構造と言うのは、そんなものだと思います。

私は、今回の裁判は絶対におかしいと思うので、戦い続けます。そうしなければ、これをおかしいと言って主張して下さる、外の方々に対して申し訳がたちません。当事者として、闘いつづける。これが、国家権力を総動員して弱者をいじめてくる社会的ないじめの構造に対して勝つための、唯一の方法だと思っております。

動画はこちら
https://youtu.be/iFnmSNHaZSU