「間接的で事実上のもの」って、なんだ?

6月22日の最高裁の家庭連合解散命令の特別抗告審の棄却文に、「間接的で事実上のもの」という、少しわかりにくい表現があります。

本文で見ると、こちらです。
https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-96677.pdf

「他方、本解散命令によって宗教団体である世界平和統一家庭連合やその信者らが行う宗教上の行為に何らかの支障を生じることが避けられないとしても、その支障は解散命令に伴う間接的で事実上のものであるにとどまる。(平成8年第一小法廷決定参照)」ということです。この平成8年の最高裁の決定は、オウム真理教の解散命令の特別抗告を棄却した時のものです。

要は、解散命令は決定するけれども、それが直接的に家庭連合の信者の信教の自由を侵害することはなく、例え支障があったとしても、それは解散命令の決定によるものではなく、派生的に起きたもの、たまたまあったものでしかない、と言っているわけです。つまり、改善命令の決定によって、家庭連合の信者が被害を受けたとしても、裁判所には責任がないよと、言い切っているのです。

「間接的」の対義語は、「直接的」です。解散命令によっても、それが家庭連合の信者に対して直接影響が及ばなければ、間接的ということもできるかもしれません。
また、「事実上の」の対義語は、「法律的な」ということになります。解散命令によっても、家庭連合の信者に対して、法律的な効果が発生しないのであれば、事実上ということもできるかもしれません。
例えば、結婚においても、法律婚と事実婚があります。実際は結婚生活をしていても、婚姻届けを出さなければ、戸籍にも記録されませんし、法律的な保護もありません。例えば、死亡しても相続権は発生しません。こういうのを、「事実上」と言います。

実際はどうでしょうか。解散命令によって、家庭連合に対して直接法的な効力が発生し、信者がこつこつと積み上げてきた財産が凍結され、礼拝堂にも入ることができなくなってしまいました。「事実上」礼拝堂に入れないのではなく、清算手続きと言う法的効果が直接信者に対して発生して、入ることができないのです。

裁判所は、これが間接的で事実上のものだと言いました。つまり、裁判所は信者に対して信仰するなと言っていないし、礼拝するなとも言っていない。礼拝堂がなくてどうやって礼拝するか、それは自分たちで考えろ、ということです。

教会の財産は、信者の共有財産です。信者がそれぞれ自分の財産から、なにがしかのものを拠出して、教会財産ができたのです。それを凍結して使えないようにすることが、どこが「間接的で事実上」なのでしょうか。直接的に、法律上の効果が発生しているではないですか。

こういうのを、欺瞞と言います。解散命令の決定は、全てこんな感じです。憲法問題を提起しても、「法令違反のレベルでしかない」と切り捨てる。説明責任も全く果たしていない。信教の自由の侵害も、ここに極まれり、ということです。

最高裁判所が使った、「間接的で事実上のもの」と言う言葉は、国の権力者が権力を行使する際に、とても便利な言葉です。今回の処分でおまえが損害を被っても、それは間接的で事実上のものだから、国には責任はないよ。あとは自分で考えろ。こう言い捨ててしまえば、どんな無理なこともできてしまいます。

これは、司法による横暴であり、人権侵害です。このような裁判しかできなかった裁判所も情けないですが、私たちは当事者として、この問題を訴え続けたいと思います。

動画はこちら
https://youtu.be/P-OANqjJtS0