宗教を哲学する 国家は信仰心をどこまで支配できるのか
先日ご紹介した、信者の人権を守る二世の会の小嶌希晶代表が参加した、「異端審問の時代をどう生きるか」というトークイベントが行われて、私もそこに行ったんですけども、主催者の塩野谷恭輔さんが、Zoomで参加された仲正昌樹教授と対談をした本を出されています。「宗教を哲学する」という本です。
プロフィールによると、仲正昌樹教授と同じ東京大学の出身で、大学院を卒業しています。塩野谷さんは、宗教学、旧約聖書学が専門で、宗教と哲学を軸にした対談という内容になっています。トークイベントの場で、書籍販売されていたので、買って帰って読んだものです。
非常に面白い内容で、2人が共通する知識、宗教や哲学に関して、共通の軸があるので、どんどん広がっていくわけですけども、共通点は旧統一教会、家庭連合のことでした。塩野谷さんは宗教学で旧約聖書が専門ではありますが、家庭連合の信者でもなんでもないし、宗教もやってませんとトークイベントでもお話をされていました。仲正教授は元家庭連合の信者で、11年ぐらいやったけど、やめられたということですけども、宗教の経験を持ったという立場で語ってるわけです。だから、軸が共通していて、面白いと思いました。
テーマのほとんどが、統一教会、家庭連合のことを軸にして書かれています。その中で、政治がどこまで宗教に介入できるのか、逆に宗教はどこまで政治に関わっていくのか、政治に関わるというよりも、政治に影響を与えてきたかと、そういうことを書いているんですね。決して、解散命令がいいとか悪いとか、そういうようなことではなくて、そもそもこの本が書かれてたのが2023年ですので解散命令請求が行われる前ですが、質問権のことしか書いてありませんが、過度な宗教に対する政治の介入というのが、結局おかしな方向に行ってしまったことに対して、否定的に書かれています。
この本を読んで、非常に思ったことですが、今の家庭連合に対する解散命令、これが行われているというのは、やはり異常だというか、異常と言うよりも、国家の作用が、宗教に対する作用について、大きなケーススタディというか、サンプルというか、研究対象となるのではないかと思います。
正当な手続きで行われた解散命令であればいいんですけども、今の解散命令は、客観的に見ても、解散させるために法律のギリギリのところを狙ってやってきたと、なんでそういうことができたかというと、非訟事件で、非公開の裁判だからできたわけですけども、非訟事件だから問題だと家庭連合の関係者は、私も含めて言っているわけですけれども、それ自体が問題なんじゃなくて、国家の作用として一つの宗教団体を潰そうとした時に、法律の抜け道というか、そういうギリギリを狙って潰しにやって来るということが、政治とか国家権力の凄さだなと、第三者的に見てもすごいことだと思うわけです。
だから、こういうことが起きないように、政治はどうあるべきか、法律はどうあるべきか、ということになるんだと思います。
そのような研究対象として、非常に重要なのではないかと思います。
だからこそ、私たちはこういったことがいかにおかしいかというところを、当事者として言い続けていかないといけないし、その判断は後世の人たちが、多分きちんと整理するんだと思いますが、政治というのは、現在進行で行われていることですが、これは全て歴史の一つの事実であり、この一つ一つの歴史の事実を、後世の人が正しく判断できるように、そしてよりよい社会にするために、後世の人たちが変えていくと思います。
こんなおかしなことは、やっぱりいけないと言うふうに、振り返られる、そういう時がくると、なんでそういうことになっちゃったのかとか、そういったことも研究の対象になるはずです。
だとすれば、今私たちは諦めてはいけないですね。きちんと、今はダメでも、十年後、あるいは50年後、百年後かもわかりませんが、そういう方々に、情報を提供するようにしないといけないと思います。後世の賢い人たちが、こんな形で本にもして、記録にもなるし、考察をして、社会をよくして行くために、考えてくださるんじゃないかと、そういうことを、強く感じた次第であります。
動画はこちら
https://youtu.be/h5loDhwnMF0


