東京高裁が作り出した解散事由 過去裁判事例を無理に類型化
東京高裁が3月4日に行った家庭連合の解散命令の決定書の中に、「不相当献金等勧誘行為」という言葉が出てきます。この「不相当献金等勧誘行為」というのは、東京地裁も使っていなかった言葉で、東京高裁が今回新たに発明した言葉ですが、非常に問題があるものです。
この「不相当献金等勧誘行為」が過去行われていて、現在も行っているに違いなく、将来も行われることを予防しなければならない、ということで、家庭連合を解散させると言っているのです。したがって、この「不相当献金等勧誘行為」は、一つのキーワードになっています。
それでは、この「不相当献金等勧誘行為」とは何なのか、ということについて、東京高裁の決定書を見てみたいと思います。
https://www.ogasawara-church.jp/wp-content/uploads/2026/05/185bb2057e46f52b2e11a9af94392c0d-3.pdf
【東京高裁 不相当献金等勧誘行為】(決定書P33-34)
「本件確定判決のうち、17件は、諸事情を総合的に考慮した結果、抗告人の信者らによる献金等勧誘行為が、以下のaやbに該当し、勧誘の在り方として社会通念上相当な範囲を逸脱すると認められるとして、不法行為に該当すると判断した(諸事情を総合的に考慮した結果、以下のaやbに 該当し、勧誘の在り方として社会通念上相当な範囲を逸脱すると認めら れる献金等勧誘行為を「不相当献金等勧誘行為」という。)。
a 対象者に対し、未証しにより献金等行為を勧誘したり、因縁トーク等の手法により献金等行為をしないことによる害悪を告知して対象者の 不安をあおった上で献金等行為を勧誘したりするなど、対象者の自由な意思を制限し、献金等行為をするか否かについて適切な判断をする ことが困難な状態に陥らせた上で、献金等行為を勧誘すること
b 対象者に対し、
(a) 対象者の資産や収入に比して過大な献金等出捐金の支払が必要となる献金等行為や、
(b) 対象者の親族の意思に反し、当該親族に無断で、当該親族の財産を原資として、献金等出捐金を支払わせることとなる献金等行為など、対象者又はその親族に不当な不利益を与え、あるいは、対象者又はその親族の生活の維持に支障が生じることになるような献金等行 為を勧誘すること」
ここで、社会通念上相当な範囲を逸脱すると書いてありますが、これが何のことなのかは、不明です。そして、「対象者の自由な意思を制限」し、「献金等行為をするか否かについて適切な判断をする ことが困難な状態に陥らせた」とは、いわゆるマインドコントロール論です。
そして、このような類型が、家庭連合信者全般に当てはまる、だから解散させなければならないというのは、明らかに不当です。
私なども、今までいろいろ献金はしてきましたけども、自由な意思を制限されたこともないし、献金できるときはして、できないときはしてきませんでした。それに対して、教会からとやかく言われたこともありません。そういう状況が、「適切な判断をすることが困難な状態に陥った」ということには、完全に当てはまりません。おそらく、ほとんどの現役信者は、そう言うと思います。
なんでこんな無理な類型ができてしまうかと言えば、この類型化をした対象が、17件だと書いてありますが、あまりにも少ないサンプルで、類型化してしまったから、10万人もいる信者のほとんどが、こんなことには当てはまらない、というわけです。
なお、親族の財産を勝手に献金してしまったという記載がありましたが、これは確かに問題です。しかしこれは窃盗、横領という犯罪なのであって、刑法で評価すべき問題です。宗教法人法で評価するべき問題ではありません。鑑定連合は、このような問題があれば、直ちに返金などの対応を行ったと聞いています。少なくともコンプライアンス宣言後、こんなことが起きているという認識はありません。
類型化といえば、東京地裁も決定書で、「類型的傾向」という言葉と使っていました。
以下の通りです。
【東京地裁 類型的傾向】(決定書 コンプラ宣言前:P74、コンプラ宣言後:P83)
①家庭連合の信者が、入信前から自身や親族に、複雑な家庭環境、不幸な出来事、高齢等による判断能力の制約等がある等の困難な事情を抱える者に対し、
②家庭連合の教理を伝道する過程で、その教理に関連して、種々の深刻な問題の原因の多くは怨恨を持つ霊の因縁等によるものであり、このような問題を解消するためには献金等が必要である旨を繰り返し申し向けるなどして献金等を行うよう勧誘し、
③その結果、借財などにより原資を捻出するなどして、本人や近親者の生活の維持に重大な支障が生ずる献金等を繰り返し行わせるものとなる恐れがある状況が生じていたと認められる。
東京地裁の類型化と、東京高裁の類型化の違いの一つは、東京地裁の類型化には、入信前に困難な事情があった、と書かれていますが、東京高裁にはこの部分がありません。おそらく、東京地裁の類型化にあてはまらないケースがたくさん指摘されたのでしょう。そのかわり、東京高裁が持ち出してきた類型化が、先ほど申し上げた「マインドコントロール論」です。決定書には、「マインドコントロール」とは書かれていませんが、「対象者の自由な意思を制限」し、「献金等行為をするか否かについて適切な判断をする ことが困難な状態に陥らせた」という下りは、まさにマインドコントロール論です。
一体、家庭連合が、信者を拘束し、自由な意思を制限したりしたことがあるでしょうか。それは、拉致監禁・強制棄教を繰り返してきた脱会屋とそれと協調関係にあった全国弁連の思想ではないですか。しかし東京高裁は、この論点を決定に入れてきたわけです。
類型化するのであれば、変わらない論点を作り、今後の基準となるようなものでなければなりません。しかし、地裁とは異なる類型を作り、これに違反しているから解散だという理屈が通るならば、一度国家に目を付けられたら、ゴールポストをどんどん動かしまくって、どんな宗教法人だって、解散に持ち込むことができます。そら恐ろしい論理です。
罪刑法定主義というのは、まず犯罪類型を定めて、実際の行為がどの犯罪類型に当てはまるかを評価して、量刑が決まります。解散命令という量刑が先に決まっていて、実際の行為が当てはまるような類型を後付けで作るというのは、あきらかに順序が逆です。子供でもわかる理論ですが、こんなことを、日本の司法を司る裁判所がやっているのですから、目の前が真っ暗になります。
何度も申し上げますが、これは家庭連合だけの問題ではなくて、全ての宗教法人に関する問題です。これを許せば、国家に都合がよい宗教法人しか残れなくなります。しかし、歴史を眺めてみたときに、国家に迫害された宗教が、生き残って、後世の人々に評価されてきたではないですか。キリスト教しかり、仏教しかりです。潰されそうとしている宗教に属する当事者として、この点は訴え続けたいと思います。
動画はこちら
https://youtu.be/1SHxMEfZhjI


