結果ありきの裁判 非訟事件がもたらす害悪
田中元会長が、昨年12月9日に退任しましたが、その後2026年3月4日に、東京高裁が解散の決定をしました。その際に、裁判所が職権で証拠として会見の内容を提出するよう、求めたということです。
これについては、田中元会長ご自身が、動画で語っています。
https://youtu.be/VVsBKDaiwW0?si=eVpc77zsjcdjSGs4
会見内容については、裁判の際に解散の証拠として使われたというのは、決定書に書いてあるので知っていましたが、まさか裁判所が証拠として提出命令をしていたとは、知りませんでした。
実際の決定書の記載は下記の通りです。
「抗告人の会長の辞任及び記者会見における謝罪
田中前会長は、令和7年12月9日、抗告人の会長を辞任した。
田中前会長は、同日の記者会見において、辞任の理由の一つとして、「継続して社会をお騒がせしてきたこと、そして今なお被害を訴える方々がいらっしゃることに対する道義的な立場です。私たちの活動が一部の方々に深いご心痛を与えたことは、決して軽視できません。会長として、その責任を真摯に受け止め、社会からの信頼回復に向けた一歩を踏み出すため、辞任を決意いたしました。改めてお詫びさせていただきます。申し訳ありませんでした。」と述べた。」(P94)
田中会長は、教団が多くの被害者を出したといって謝罪したのではありません。教団が解散という事態を迎え、道義的な責任として謝罪したのです。そして、家庭連合及び信者が、愛国の精神で歩んできたこと、拉致監禁・強制棄教の問題、救済委員会を作るなど被害者にも誠意をもって対応してきたこと、次の世代にバトンを譲るべきと判断したこと、多くのことを語りました。しかし、決定書にはそれらには一切書かれておらず、単に「謝罪した」という部分だけを抜き出しました。決定書には、家庭連合が悪いことをしたと自ら認めた、という形になっています。
なんで、こんな一方的な証拠採用が行われたのでしょうか。それは、解散命令事件が、非訟裁判だからです。
民事事件では、裁判所が自ら証拠集めをする「職権探知主義」はとらず、証拠は被告・原告それぞれが提出することになっています。
これを弁論主義といって、裁判の大原則です。なぜ裁判所が証拠集めをしないかというと、裁判所がどちらかに肩入れすることを避けるためです。
一方、刑事事件では、基本的に原告・被告双方が証拠を提出しますが、裁判所が証拠調べをすることができます。
刑事訴訟法第298条第2項
裁判所は、必要と認めるときは、職権で証拠調をすることができる。
しかし、今回は刑事事件ではありません。家庭連合は刑法には違反しておらず、民事訴訟があるだけです。
それでは、なぜ東京裁判所が証拠調べをするのかといえば、これが非訟事件だからです。訴訟事件では、弁論主義といって、裁判所は双方が弁論した内容に基づいて、第三者の立場で判断を下します。裁判所の公平性を保つためで、対立する両者が、司法に判断を委ねる信頼性を確保するためでもあります。
しかし非訟事件は、双方が争っているという前提ではなく、行政が行うことを、後見的に認めるという立場です。だから職権探知主義が採用されます。
現実問題として、文部科学省の解散命令請求に対して、家庭連合は反対しています。対立しているのだから、裁判所は公平にジャッジする立場を堅持するべきです。しかし、非訟事件であることを盾にして、裁判所が権力を振るって、今回の決定を下しました。
それは、決定書にも書いてあります。
「宗教法人法81条1項は、宗教団体に法律上の能力を与えたままにしておくことが不適切あるいは不必要となる一定の事由がある場合、公益的見地から、その法人格を失わせるため、裁判所に宗教法人の解散を命ずる権限を与えたものと解される。同項は、裁判所が、「所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により」宗教法人の解散を命ずることができる旨を定めるが、上述のような解散命令の制度の趣旨・目的に照らせば、これは、同項に定める者が、裁判所に対し、宗教法人の解散を命ずる権限の行使を請求できる旨を定めたものと解すべきであって、同項に定める者に対し、宗教法人を直接の相手方として解散するよう求めることができる具体的な権利を与えたものとは解されない。」(P177)
わかりにくいですが、要するに解散命令というのは、訴訟事件ではないから双方の言い分を聞いて判断するのではなく、裁判所が独自の権限で決定して構わない、と言っているわけです。
宗教法人の解散命令という重要なことが、非訟事件で扱われることの最大の問題が、これだと思います。非訟事件だから裁判が公開されない、私たちはそれをことができない、それも問題です。しかし、実は非訟事件の最大の問題は、公益性を盾に、裁判所が単独で強大な権利をもって、宗教法人をつぶすことができる、という点なのです。
動画の中で、田中元会長がおっしゃっていますが、裁判所が辞任会見を証拠として採用すると通知してきた時、それはよいことだ、と考えていました。しかし実際は、すでに解散の方針は決まっていて、裁判所はそれに使える証拠を集めていたにすぎません。3月4日に解散命令の決定が出たときには、すでに1000人体制の大清算人団ができていました。しかも情報が絶対にもれないように、厳戒態勢にありました。そんなものが、1か月や2か月でできるわけがありません。すべては、予め決まっていたのです。
やはり、今回の裁判は、公平を装った、結果ありきの裁判です。非訟事件であることが、全ての問題の根幹にあります。非公開なのが問題だと言いますが、裁判所が単独でこのような危険な決定できるという、そのような強大な権力を与えているということが、日本の法体系そのものに問題があると言わざるを得ません。
この裁判では、家庭連合は多くの証拠を提出してきました。その中には、拉致監禁・強制棄教の問題や、文科省の陳述書捏造事件もあります。しかし、決定書には、どこにもそれが書かれていません。なぜなら、訴訟事件ではないから、弁論主義は採用されず、裁判所の都合がよい証拠を選んで使えばよいのです。宗教のなんたるか、信教のなんたるか理解しない裁判官が、10万人の信仰の命、生活の糧を奪うことができる。どう考えても、おかしい制度です。
家庭連合の信者の中には、本部の対応が悪かったとか、世間に理解させる努力が足りなかったとか、いろいろ内部批判をする方がいるようです。どのような言論をしようと、それは自由ですが、相当に的外れだと思います。強大な国家権力に対して、どんな対応をしたって、結果は同じでしょう。なにしろ、会長が全てのことを整理した上で、責任をとって辞任するといったその会見ですら、解散の証拠にさせられるのですから。
戦う相手が違います。私たちは、相手が強大な国家権力であっても、当事者として不当な扱いに対しては、声を上げ続ける必要があります。
教団幹部、と言っても皆さん解雇されてしまいますが、幹部を批判したところで、何の意味もないどころか、解散命令を正当化する材料にしかなりません。
私は、田中元会長は、本当に頑張られたと思います。そして今、このように発信するのは、恨み言などではなく、特別抗告で少しでも有利な情報を提供しようと、当事者として発信しているのだと思います。おそらく、内外からの批判を覚悟してのことでしょう。立派なことだと思います。
何度も繰り返しますが、これは家庭連合だけの問題ではありません。宗教家全体の問題です。すでにそのことに気づいた宗教家の方々が、声を上げて下さっています。本当にありがたいことです。日本の宗教行政、そして司法が正しい方向にいくように、捨て石になっても構わないから、私たちは戦い続けます。
動画はこちら
https://youtu.be/ffAAcEevu3c


