特別抗告 主張書面2 誰のための解散命令なのか?
家庭連合が行っている解散命令に対する特別抗告は、福本修也弁護士が抗告代理人ですが、新たに主張書面を4月30日付で提出しました。
その中で、龍谷大学の石崎学教授がずっとおっしゃっている、法人格の取得はそもそも憲法の精神の自由に含まれるものであると言うところから着想を得たということを書いています。下記のサイトです。
https://fukumoto-law.com/news?id=18
「石埼教授が違憲審査論における「利益衡量の両天秤」という観点を強調しておられることから着想を得て、高裁決定を改めて見直すと、「重大な矛盾」が見えてきました。それは、「解散命令によって守ろうとする利益・人権と、それにより制約を受ける利益・人権の享有主体が、いずれも現役信者であって同一である」という矛盾です。」
特別抗告主張書面2の本文は下記の通りです。
https://fukumoto-law.com/assets/uploads/%E4%B8%BB%E5%BC%B5%E6%9B%B8%E9%9D%A2%EF%BC%92%EF%BC%88HP%EF%BC%89.pdf
「特別抗告理由書「第2」で述べた通り、法人格取得権は宗教結社の自由(憲法20条1項、21条1項)により保障される権利であり、法人格をみだりに剥奪されない権利(法人格維持権)も当然に包含し、宗教法人解散命令は同権利に対する直接的制約に外ならず、その制約に対しては厳格な審査基準が適用される。」(P7)
ここが出発点になっているわけです。それを前提とした時に、今回の宗教法人法の規定に基づいていくと、公共の福祉が非常にそのまあ大きなポイントになってくるというわけです。
それでは、公共の福祉というのはそもそも何なのかということが、次に書いてあります。
「憲法12条、13条等で用いられている「公共の福祉」という文言は極めて抽象的であるが、憲法学説では、その内容を比較考量論によって確定するというアプローチが今なおメインストリームである。すなわち人権を「制限することによってもたらされる利益とそれを制限しない場合に維持される利益とを比較し、前者の価値が高いと判断される場合には、それによって人権を制限することができる」との考えである 。」(P9)
日本国憲法というのは、基本的人権の尊重を大看板にして作られたわけですが、人権というのはお互いに衝突することがあるんですね。ある人が人権を主張すれば、他の方々の利益が侵害されるとことがあるということです。
例えば、ある土地に道路等を通すという時に、土地の所有者の財産権がある程度制約されることがあるわけです。自分はこの土地が大事なんだと言っても、みんなの利益のためには、やっぱり道路を通さなければならないと言った時には、その土地をあけ渡さないといけないとういうことが、あったりするわけです。そういうのを公共の福祉というわけですが、要するに人権と人権が衝突する場合には、どちらの利益が守られるべきなのか、これが比較衡量だというわけです。
宗教法人法の解散の要件でも、「著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと」となっていますから、やはりこの公共の福祉というのが、非常に重要なポイントだということになってきます。
ところが、今回の決定は、「「公共の福祉」が人権相互の矛盾・衝突調整の実質的衡- 9平原理であること、すなわち、規制により守ろうとする人権とそれにより制約される他者の人権との比較衡量という視点が欠落している」(P10)、ということです。
これが、今回一番福本弁護士が石崎教授の論文を読んで、着想を得た部分であるという部分だと思います。
そこで、被害者が被害を受けたと言っている人権部分、解散によって守られなければいけない人権部分と、逆に解散することで失われる人権部分を比較するということなんですが、その点について、福本弁護士はこのように書いています。
「原決定が幾重にも憲法および宗教法人法の解釈を誤った究極の原因は、憲法20条1項が宗教団体の法人格取得権を保障していることを理解せずに「解散命令によって宗教法人が解散しても、信者は、法人格を有しない宗教団体を存続させ、あるいは、これを新たに結成することが妨げられるわけではなく、また、宗教上の行為を行い、その用に供する施設や物品を新たに調- 14えることは妨げられるわけではない。すなわち、解散命令は、信者の宗教上の行為を禁止したり制限したりする法的効果を一切伴わない」(161頁)としたところにある。すなわち、利益考量のはかりの一方に乗せるべき憲法上の権利を否定し、はかりのそちら側の皿には何ものも乗せず、憲法上の権利の対抗利益の側の皿にだけ重みを惜しげも無く乗せていったのである。つまりなすべき利益考量をしなかったのである。」(P15)
裁判所は、家庭連合の信者が失う利益は大したことがないと言ってるわけです。法人格を失っても、家で礼拝もできるでしょうと、別に建物なんかなくてもいいでしょうと、こういうことを言っているわけです。
ところが私たち信者は、まさに現在進行形で、そういうことをせざるを得なくなって、ものすごく困っているわけです。そういうことに対する配慮は全然ないと言うことです。被害者とおっしゃる方々の言うことは無条件に受けて、われわれ現役信者のことは、一切言っていない、こういうことを指摘しているわけです。
それでは、我々の失われている権利はどんなものか、これについて色々と書いてくださっています。
「抗告人の人権制約原決定当日、直ちに抗告人に対する清算手続が開始された。抗告人は、現預金、動産、不動産など全財産を剥奪され(財産権剥奪)、宗教活動を行うための物理的基盤を失った。全ての教会施設は清算人の管理下に入り、職員及び信者は直ちに教会施設からの退去を求められ、以後立入りを禁じられ、教会施設での儀式、礼拝、祈祷会その他一切の宗教活動ができなくなった。職員は職員として宗教活動を行うことを禁じられて自宅待機を命じられ、一部の職員を除き本年5月20日をもって解雇する旨の通知を受けた。信者らの神霊指導に携わる職員(牧会者)は全員が解雇の対象となっているが、財政的基盤のない任意団体として彼らを雇用して抱えることは不可能な状況にある。このように、抗告人は人的にも物的にも宗教団体として宗教活動することがほとんどできない状況にある。」(P17)
このように、人的にも物的にも宗教団体として宗教活動することがほとんどできない状況にあるということであり、これが我々が今、直面している、失われた利益だということです。本当に、苦しくて苦しくて仕方がない、こういう状況になりました。
これらは、我々信者の立場で、教会全体の話ですが、今度は、職員・家族の人権侵害についても、書いてあります。
「職員・家族の人権侵害抗告人においては、安倍元首相暗殺事件以降の収入減少などの影響で早期退職者を募り、これに応じた331名の職員が令和8年3月10日付で退職したが(別途定年退職者を除く)、清算人により同年5月20日付けで新たに約900名の職員が解雇されることになった。今回、清算業務のために残された一部職員についても、順次全員解雇される運命にある。」(P17)
家族たちは、生きる基盤を奪われちゃったわけです。
現役信者の人権制約、人権侵害についても、書かれています。
「宗教活動の自由の制約上記の通り、全ての抗告人教会施設は清算人の管理下に入り、教会施設での儀式、礼拝、祈祷会その他一切の宗教活動ができなくなった。そのため、信者らは、毎週末の礼拝や日々持たれる祈祷会は勿論、祝福結婚及び葬儀などの儀式を行うことも困難な状況になっている。宗教儀式に用いる特殊な礼物(動産)も清算人から引渡しを拒否され、結婚・葬儀という人生の重要な節目を自らの信じる宗教儀式をもって迎えることに支障が生じている現状は、極めて深刻である」(P18)
どうしてこういう判断を高裁が行ったのかという根本の問題点について、主張書面では書いています。
「誰のための解散命令なのか
本件利益衡量の両天秤に乗る利益の享有主体は誰なのか原決定(165頁)は、「抗告人の解散を命ずる必要性があるといえるのは、既に発生した被害の回復を図るためではなく、抗告人の信者らが今後再び不相当献金勧誘行為を行うことを防止するためである。」という。
そして、原決定(149頁~152頁)の論旨によれば、現在及び将来の被害者は抗告人の教祖及び幹部から無理な献金を強いられる現役信者らであるということになるが、そうすると、本件で利益衡量の両天秤に乗る対抗利益の享有主体が同一ということ(原決定は法人格取得権を認めていないので、抗告人及び現役信者らの宗教活動等に与える事実上の不利益が対抗利益である)になり、これは明らかな矛盾である。現役信者が被る可能性のある経済的利益侵害を防ぐために、抗告人を解散させ、全現役信者から儀式・礼拝・祈祷の場も説教・指導を行う牧会者も総て取り上げ、解雇によって職員・家族の生活を破壊し、全現役信者・職員・家族の信教の自由、生存権、教育を受ける権利を犠牲にするというのは、矛盾も甚だしい。」
全ては、信者のためですよ、信者のためにあなた方の生活を破壊します。それはあなた方の生活のためですよ。何を言ってるんですかって言う話です。余計なお世話というか、もういい加減にしてくださいと言いたくなるような、決定の内容だということです。
特別抗告とは、憲法上違憲であるかどうかということを図るための制度であって、手続き論などは今回特別抗告では主張できないません。それは審理に乗りません。
ただ、憲法的な議論の根本のところにおいても、そもそも何のために解散するんですかというところが、本当に見えない。これはどういうことかというと、結局、解散させることが目的なんですね。解散させさえすればいい、誰のためか、ということも関係なくて、目的の為にはどんな理屈でもいい、目的のためには手段を選ばないとよく言いますが、そういうことでになっているのだろうと思います。
本当に、こんなめちゃくちゃなことが、どうして通用するのかと私は強く思いますし、現役の信者として、ここについては妥協なく訴え続けていかなければならないと思っております。
動画はこちら
https://youtu.be/kxWtKHUeOME


