家庭連合の被害者とは、教会のせいにする人 信仰をもつのが被害なのではない

家庭連合の清算手続きで一番強調されているのは、被害者救済という話です。それでは、被害者というのは誰かといえば、かつて家庭連合の信者であったか、その家族で、本人が信仰していた時に高額献金していたとか、無理やり結婚させられて不幸になったとか、子どもに信仰を強制して親子関係が壊れたとか、そういうお話かと思います。それが、家庭連合という組織の問題だから、家庭連合を清算させ、被害額を清算財産から弁済させる、ということになっているわけです。

しかし、もしそうなら、私も被害者ということになってしまいます。私も献金はこれまでたくさんしてきたし、国際祝福式で結婚して今の妻と一緒に過ごしていますし、子どももいて教会にも連れて行きました。

しかし、献金を強制されたことは一回もなく、生活の関係でできない場合は、見送ってきました。祝福結婚式を1988年に受けましたが、全く問題なく過ごしています。妻と過ごす時間が一番楽しいので、とても感謝しています。子どもは、教会に通っている子もそうでない子もいますが、嫌がるのを無理やり連れて行ったこともないし、今はそれぞれ自分の生活をしていて、何の問題もありません。年に何回かみんなで集まるのが、家族の楽しみになっています。ほとんどの現役信者は、そんな感じなのではないでしょうか。

かつて家庭連合の信仰を持っていて、今は信仰していないという人も、数多くおられます。むしろ、信仰をやめた人の方が多いですが、ではそういう人たちが、家庭連合に恨みを持っているかというと、そうでもありません。先日お会いした方も、原理研究会にいて、家族に監禁されて信仰をやめたのですが、信仰していた時代のことが懐かしいと言っていました。別に、家庭連合に対して恨みを持っているわけでもありません。

祝福を受けて、家庭を持ってから離れた人も、数限りなくいます。では、そういう人たちは、家庭連合を恨んでいるかというと、私が知っている限りは、そうでもありません。家庭連合の激しさにはついていけないけれど、自分は自分の生活があるから、それが妨げられなければ、それでいい、と割り切った感じです。

つまり、信仰の道というのは、ある意味修行みたいなものだから、それをするもしないも、本人が決めればいいことだと思います。信仰をやめたからと言って、私はその人を非難したこともないし、周りの人もそれはそれで受け入れていて、たまに会えばお久しぶり、というだけで、なんのしこりもありません。

つまり、「被害者」という方々は、信仰をやめて、信仰生活の結果望ましくない結果があって、それが家庭連合のせいだと主張する方々のことだと思います。同じように信仰して、信仰生活を行って、残念な結果があったとしても、それを家庭連合のせいだと思わない人は、自分が被害者とは主張しません。

信仰を続けるのがいやになったら、やめたらよいと思います。献金がいやだったら、やらなければよい。それを強制されるようなら、そんな団体からは出ればよい。その代わり、人にも強制しない。何事も自由意思でやればよいし、それを教会のせいにするのは、筋違いではないかと思います。

これが、退会できないように、会員を縛り付ける組織だったら、それは問題です。しかし、家庭連合という団体は、退会することがとても簡単です。教会に行かなければよいのです。こんなにゆるい組織はないんじゃないか、というくらい、自由です。まあ、現在は教会そのものがなくなってしまったから、退会もなにもないという状態ですから、ますますもって自由な集まりと言えます。

即ち、家庭連合の被害者というのは、「自分は被害者だ、教会のせいだ」と言っている方々のことです。自分の判断に責任を持とうとする人は、教会のせいにしよう、などとは思いません。少なくとも私は、信仰生活の結果を、教会のせいにしよういう発想はありません。もし何かを強制されるようなことがあれば、やめてしまえばいいだけだからです。マインドコントロールされているから脱会できないなどと信じこんでいる人がいれば、それは相当思い込みが激しいか、正常な判断力がない人でしょう。信者はたくさんやめてますから、これのどこがマインドコントロールなのかと言いたいところです。

問題は、むしろ、国家が信者の信仰生活にまで介入してきたことです。家庭連合の信者・元信者は、被害を受けているに違いないと決めつけて、本人の自由意思を軽視する。だから、被害者救済などと言って、献金リストをもとに個別に照会するとか、それでも被害を訴えない人を救済するために、財団を作るなどという発想がわいてくるのです。

信仰生活をするもしないも、それは本人の自由であり、自己責任です。家庭連合の解散命令は、信仰生活に対する国家による過度な干渉です。それは、家庭連合の信者を拉致監禁・強制棄教させてきた、日本基督教団の牧師や、それを支援してきた弁護士たちと、同じ発想です。家庭連合の解散命令の決定書に、家庭連合の拉致監禁被害者のことがどこにも書いていないのは、解散命令自体が、同じ性格を持っているからだと、言わざるを得ません。

家庭連合の信仰を持ったからといって、被害者というわけではない。これを言えるのは、当事者である信者本人しかいません。だから私は、信者であることを名乗って、このように発信し続けているのです。先日報道特集にも出ましたが、何人かからそのことを言われました。日常生活において、支障がないとは、正直言えませんが、それも仕方がないことだと思っています。

動画はこちら
https://youtu.be/akyz7dzpoS0