「マインドコントロール」とは人格否定の言葉

田中前会長がご自身のチャンネルを作られて、色々と発言を始められました。非常に素晴らしいことだと思います。

その中で、マインドコントロールということについてお話しをされてました。このマインドコントロールについて、私なりの言葉でお話したいと思います。

以前、紀藤正樹弁護士が、「マインドコントロール」について本を出しています。それを反論する形で、魚谷俊輔氏が、「間違いだらけのマインドコントロール論」という本を出しています。

紀藤さんのマインドコントロールは、人間誰しもマインドコントロールされているんだと、ただ、いいマインドコントロールと悪いマインドコントロールがあって、スポーツのコーチとかがするのはいいマインドコントロールで、霊感商法は悪いマインドコントロールだみたいな、そんな言い方をしていましたね。

私は、マインドコントロールという言葉そのものが、差別用語だと思っています。なぜかというと、これは人格否定の言葉なんですね。また自分語りをすると怒られちゃうかもしれませんが、私は親から散々、お前は自分の考えを持てないでいるんだと、マインドコントロールされているんだと、散々言われましたね。その言葉を聞くたびに、自分の人格を否定されてるんだなと、今から思い返すと、そう思ったものですね。

要するに、「お前は自分の考えを持てないでいるんだ、誰かに考えを支配されてるんだ」というのは、要するにその人の自我そのものを否定する言葉なのです。人格否定ということになります。適切な表現かどうかわかりませんが、高齢になってくると認知症になったりします。そうすると、自分で責任を持った判断ができなくなることがあります。認知症になった方は、本当に保護しないといけない対象であると思いますし、その人の尊厳を下げてはいけないと私は思います。

しかし、正常な人に対して、認知症だと言うと、それはその人の人格を否定する、ある意味、差別的な用語にもなってしまうと、侮辱する用語になってしまうと、私は思います。

それと同じように、マインドコントロールというのは、お前はマインドコントロールされているという言葉は、お前は自分で責任を持った判断をすることができなくなってるんだと、責任を持って判断するというのは、人格そのものでありますから、要するに人格を否定するということになります。ある意味、差別的な用語使い、侮辱的な用語使いと言えるんじゃないかと思います。

東京高裁の決定書の中に、マインドコントロールという言葉は使われてなかったと私は記憶していますが、しかし、正常な判断力を失わせて云々という下りは、やはり家庭連合の信者はマインドコントロールされていて、マインドコントロールしているのは教会だと、こういう理屈ですから、結局信者の自主的な尊厳、自発的な信仰を否定する言葉であって、信者の人格そのものを否定する言葉であると、非常に侮辱的な言葉であると、私は思っています。

このような、根拠不明な、定義ができないというか、人によって定義がバラバラな言葉を使って、信者の人格を傷つけてはならないと、改めて強く申し上げておきたいと思います。

動画はこちら
https://youtu.be/JMPhApPlYpw