進化論と創造論

ダーウィンは、「種の起源」を書いて、進化論を打ち立てました。それまでは、この世のすべては神が創造したとされていましたが、神の創造なくして、生物や人間が、自然の力で生まれることができたという理論です。科学が発達すればするほど、このような形で神の関与なく、科学で解明されていくというように思われています。

しかし私は、科学が進歩すればするほど、神の創造の巧妙さ、精密さが、ますます明らかになっているんじゃないかなと思います。生物の進化の過程と、神の創造とは、全く矛盾するものではないというのが、私が思ってることです。人間の人体も、生物も、設計図なしでは高度な仕組みは作ることができないというのが、直感的な、素朴な感覚なのではないかと思います。これを、突然変異と自然淘汰という理論だけで、神の関与なし作ることができると考える方が、無理があるのではないかと思うわけです。

私も統一原理に出会うまでは、科学の進歩が究極まで進めば、真理というものは全て解明されるから、神などなくてもよいと思っていました。

けれども、決してそうではないなと思っている次第です。よく、人類の祖先は聖書ではアダムとエバと書かれていますが、その前の人類の化石があるではないか、例えばネアンデルタール人というのがいて化石があります。そのあとクロマニョン人、そしてホモ・サピエンスと、進化の証拠があると言われます。アダムとエバを、何もないところから作ったというのは、神話だと思われています。

しかし、創造は行われました。そうすると、どこから先が人間なのかということになります。生物がだんだん高度化して人間に至ったことは、化石によって証明されています。しかし、人間に魂が与えられた瞬間が、人間が初めてこの地上に登場したと考えれば、よいのだと思います。

人間と動物の一番大きな違いは、魂があること、そして神様の神性に触れることができること、これが動物と人間の決定的な違いですだと思います。その魂が与えられたのが、最初の人間ということなのだと思っています。その時までは、確かに肉体としてはあったし、連続性があるのでしょうが、人間と動物の境目は、明らかに魂があるかないかだと思っています。

この自然界の巧妙な仕組み、そして奇跡的なバランスによって地球という星ができていること、まさに人間が生まれてくるための環境を神様が備えてくださったと考えるのが、非常に自然なのではないか、無理に神を排除した理屈を作るよりも、素直にそれを受け入れるほうが、自然だと思っています。

本件に関しては、いろんなご意見もあるだろうと思います。むしろ、そういう意見を交わしていくことが、真実につながる道なのではないかなと思っています。

動画はこちら
https://youtu.be/vGHnSFEeN2s