拉致監禁・強制棄教 家庭連合への訴訟は現代の踏み絵
家庭連合の信者の少なくない方々は、拉致監禁による強制棄教を迫られ、その結果信仰を放棄するに至っています。そしてその方々は、統一教会(当時)に対する損害賠償請求の裁判を行いました。しかし、この裁判は、「現代の踏み絵」であり、信教の自由の侵害そのものでなのです。そしてこの「踏み絵」である裁判の結果が、家庭連合への解散命令の決定の根拠ともされています。家庭連合の信者の拉致監禁・強制棄教と解散命令請求は、切っても切れない闇の構図となっています。
拉致監禁による強制棄教を迫られた信者の中には、自力で脱出できた方も多いのですが、監禁の方法も年々巧妙となり、自力脱は不可能となるケースが増えてきました。すると、偽装脱会をする信者が増えてきました。「信仰をやめる」と言わなければ、出してもらえないからです。そこまで人間を追い詰めるという非人道性もさることながら、それが繰り返された結果、今度は本当に信仰をやめたかどうかを確かめるために、統一教会に対して訴訟を起こさせると言うことが行われました。
しかしこれは、現代の「踏み絵」です。踏み絵というのは、キリスト教が禁止された江戸時代、ひそかに信仰を持っている信者、いわゆる隠れキリシタンをあぶり出すために江戸幕府が編み出した方法で、イエス様の肖像画を、住民たちに踏ませるわけです。隠れキリシタンたちは、心で泣きながら、イエス様の絵を踏みました。
これを題材とした有名な小説が、遠藤周作の代表作である「沈黙」です。キリスト教が禁止されて長崎にあえて渡ってきたロドリゴ司祭が幕府につかまり、信仰を捨てることを迫られました。ロドリゴ司祭はそれを拒否しますが、信者を拷問し、おまえが「踏み絵」を踏まなければ、この信者を拷問し続けるぞと脅迫し、結局ロドリゴ司祭は踏み絵を踏むのです。すると、それまで沈黙していた神様が、イエス様の言葉を通して、ロドリゴ司祭に語り掛けます。
「司祭は足を上げた。足に鈍い重い痛みを感じた。自分は今、自分の生涯の中で最も美しいと思ってきたもの、最も聖らかと信じたもの、最も人間の理想と夢に満たされたものを踏む。この足の痛み。その時、踏むがいいと、銅版のあの人は司祭に向かって言った。踏むがいい。お前の足の痛さを、この私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため、十字架を背負ったのだ。」
まさに、人間の心を引き裂くような残酷な仕打ち、これが踏み絵です。その踏み絵が、現代の日本で、拉致関係による強制棄教の被害者に、教会を訴えさせるという方法で、行われているわけです。
このことを、詳細に説明している本が、小出浩久氏の「人さらいからの脱出」という本です。小出氏は、家庭連合の信者の方が立ち上げて運営している病院である一心病院に勤務する医師でした。一心病院は救急指定病院であり、小出氏には担当の患者もおられましたが、その医者を拉致監禁して、アパートに拉致監禁したのです。拉致監禁を指揮したのが、脱会屋の宮村峻氏であり、松永堡智牧師です。小出氏も、なんとか自力脱出を試みましたが、どうにもならずに、偽装段階を決意します。しかしそこからが、小出氏が非常に苦しんだところでした。なんと宮村氏は、勤めていた一心病院に対して裁判を起こすことを強制してきたのです。そしてそのためにやってきたのが、全国弁連の中心的な存在である、山口広弁護士と、紀藤正樹弁護士です。二人は、小出氏が拉致監禁されて、脱会したということを認識した上で、わざわざ新潟まで来たのです。
その部分の文章がありますので、読んでみたいと思います。
「10月23日(1993年)、宮村氏の依頼で、山口広弁護士と紀藤正樹弁護士が東京から新潟までやってきた。この2人の弁護士は、統一教会が霊感商法を行っていると批判活動している、全国霊感商法対策弁護士連絡会に所属していた。改宗請負人と言われる宮村氏と被害弁連の弁護士とは、かなり親密な様子だった。(P163)
続いて、こう書いてあります。
「両弁護士は、毎回、「もうそろそろ自由に行動させてもさせてあげても大丈夫じゃないかな。まあその辺りのことは、宮村さんに聞いたほうがいいけどね。」と言い、宮村氏は決まって、「あいつら(統一教会)は何をするか分からないからな。向こうが捕まえに来ることが、まだないとは言えない。」と返答していた。」(P166)
偽装脱会しても、なお宮村氏と両親の監視下にあったわけで、両弁護士は、そのことを知っていたわけです。そして、両弁護士は、小出氏に、勤務先である一心病院を訴えさせます。
「私が監禁前に一心病院という、総合病院であり救急指定病院であるところで、どういう責任を任されていたのかということには、2人の弁護士ともほとんど関心を示さなかった。医者が突然いなくなることで、一体何人の患者が不安におののいたことか。医者の社会的責任を強制的に放棄させ、信教の自由を侵害する監禁行為については、全く問題にしなかった。」(P168)
拉致監禁というまあ暴力行為に関しては何の関心も示さず、ただやめさせることが目的だということがよく分かります。
それだけではなく、脱会した信者は、他の脱会信者が教会を訴訟することの手伝いまでさせられます。青春を返せ訴訟が新潟で行われていた際に、原告となった信者のお手伝いをさせられたと時のことが、書かれています。
「そして、年々原告者数は増え、当時は50名くらいにまでに膨らんでいた。その原告たちと弁護士との打ち合わせが、毎月1回、新潟合同法律事務所で開かれていた。弁護士は新潟の中村弁護士(全国霊感商法対策弁護士連絡会所属)を始め、7人ほどが参加したが、原告として打ち合わせに参加するのはせいぜい5人程度、それ以外に元信者が5人くらいで、それに松永牧師牧師が参加して開かれていた。訴訟活動は当の原告よりも、弁護士のほうが熱心に取り組むという、不思議な光景である。」(P172)
さらに続きます。
「訴訟に直接関係のない人まで、何故協力するのか。原告50人の原告のうち、積極的な人がなぜ少ないのか。その理由は訴訟への参加自体が本人たちの自発的意志によるものではないからである。はっきり言えば、松永牧師や宮村氏らの教育や勧めに負っている部分が多い。かつ、統一教会からの脱会の真偽を確かめるための、「踏み絵」的要素に使われている面が多々あるからである。私が直面したケースもまさにそれであった。元信者の父兄は、松永牧師による勉強会に参加する中で、彼らから統一教会は反社会的集団という信念を植え付けられていた。かつ元信者自身もマンションに監禁されて説得されるうちに、統一教会は反社会的集団、そこからの被害を回復することが責任を取ることであり、正義なのだと、徹底的に教育され、監禁状態という苦痛からされたという思いもあり、それを断りきれずに、原告となっていく場面場合が多かった。そしてリハビリの過程で、松永牧師や宮村氏から、特定の弁護士が紹介されていく。青春を返せ裁判で原告となっている人のほとんどは、そういう形で裁判への参加を決めていたのだ。
1993年の年末、新潟市の湖畔ホテルで、統一教会に反対する新潟の会が開かれた時、新しく青春を改正訴訟の原告となった十人近くの人が前に立ち、一言ずつ話をした。その中で、統一教会への恨みを語った人は、一人もいなかった。みんな反社会的集団である統一教会を訴えることが社会的責任を取るとこと感じ、訴訟に参加したと異口同音に述べていたのが印象に残っている。統一教会は反社会的団体だから、そんなものを信じるのはまともではないと、一方的な決めつけで、脱会を決意するまで長期間監禁し、それが終わるや否や、すぐに訴訟を起こさせる。」(P174)
結局、拉致監禁・強制棄教と、家庭連合に対する訴訟というのは、セットで行われているわけです。それは、偽装脱会ではないかということを確認するための、踏み絵として行われていたわけです。そしてその訴訟が、今度は家庭連合を解散させるための証拠と採用されており、さらには訴訟で主張された典型的なパターンが、和解や示談にも当てはまるに違いないと推定されたわけです。
現代の踏み絵である、拉致監禁による強制棄教の元信者による訴訟。そしてそれを根拠とした家庭連合に対する解散命令の決定。
このような、人の心を踏みにじるような闇の構図を、世間に明らかにしていくひつようがあると、私は確信しております。
動画はこちら
https://youtu.be/OANtYTASg0A
