文鮮明師は40年前ダンベリー刑務所に収監された。そして歴史が動いた…

家庭連合は、日本政府により、解散命令の決定を受けました。この状況を見ると、40年前の文鮮明師のダンベリーを思い起こします。

1984年5月、統一教会(当時)は、教会の銀行預金を、代表者である文鮮明師名義で預けていました。その利子収入は、宗教法人の預金であるため非課税であるべきところ、これを脱税とみなして有罪判決を下しました。
その結果、文鮮明師は、個人として何の罪もないのに、1984年7月から1985年8月まで、コネチカット州のダンベリー刑務所に収監されました。つまり、実刑を受けたのです。文鮮明師は刑務所の中でも堂々としていました。「本日から、統一教会の本部をダンベリー刑務所に移す」とおっしゃって、全くひるむことがありませんでした。

そして、その姿を見て、あれほど文鮮明師と統一教会を批判し迫害していたキリスト教会が、「宗教迫害を許すな」ということで、信教の自由の運動が燃え上がったのです。
宗教団体が、代表者の名義で預金を預けるのは、どの宗教団体もやっていることでした。だから、これはあきらかに政府による宗教迫害であり、宗教者たちは、自分のこととして立ち上がったのです。

文鮮明師は1985年8月20日に、ダンベリー刑務所から解放されました。
そしてその日に、1700名のキリスト教牧師がワシントンに集まり、文鮮明師を迎える晩餐会が開かれたのです。これは、奇跡のような出来事でした。
動画をご紹介します。
https://youtu.be/72qXjrQogGk?si=MObqmInRTQhLakOG&t=1230

奇跡はそれだけでは終わりませんでした。
同じ1985年、ゴルバチョフ氏がソ連共産党の書記長となり、このゴルバチョフが1990年4月10日にモスクワで文鮮明師と出会いました。そして、1991年12月25日、ゴルバチョフはソ連解体を宣言することになったのです。これは、歴史の偶然かもしれません。しかし、私たち家庭連合の信者からすれば、文鮮明師が牢獄での苦難を乗り越えたことが、世界的な共産主義との戦いに終止符を打つきっかけになったと、理解しています。

そうすると、ちょうど40年目を迎えるこの2025年、家庭連合は解散命令の決定を受けましたが、それと引き換えに大きな勝利を得るはずです。
私たちは失うものがありません。なぜなら、私たちは文鮮明師と韓鶴子総裁に従うものであって、同じように苦難を受け、同じように勝利を得ると信じるからです。これが、ダンベリー精神です。

信仰を持つものの本当の強さは、これかもしれません。苦難の中にも希望を見出し、自分ができる最大のことを積み上げていく、それがやがて大きなうねりになっていくことを、確信しているのです。

動画はこちら
https://youtu.be/evPRmLBUP_s