解散命令の問題点 信者も人間だという配慮が欠けている

家庭連合に対する解散命令の裁判の大きな問題は、家庭連合という教団のことばかりに焦点を当てていて、教団につながる一人一人の信者は生きた人間であるということが、文部科学省や裁判所の頭から、すっぽりと抜け落ちているということです。

家庭連合の信者と言っても、生身の人間です。一人一人に人生があり、家庭があって、お金も稼がないといけません。その人生の中の一つの要素が信仰なのです。喜怒哀楽があり、嬉しいことも哀しいことも、誰かと共有して、支え合いながら生きています。そのような、人間に対する配慮が欠けた行政は、もはや恐怖の対象でしかありません。

その典型が、中山弁護士が指摘した、「反射的利益」という表現です。
決定書には、こう書いてあります。
「当該法人格の喪失により事実上生じる影響は、法人格を有していたことに伴う反射的利益に対するものである」(P103, 107)

ここで「反射的利益」とは、国が宗教法人に対して与えている便宜に付随して、信者がたまたま受け取った利益、という意味です。付随的に受け取った利益だから、それが失われても、文句を言う筋合いのものではない、という意味です。しかし、国が与えた便宜と言っても、法人税や固定資産税など税制面の優遇措置に留まります。教団の資産全てを解散によって清算させ、取り上げるという処分は、「反射的利益」をはるかに超えています。つまりこれは、詭弁なのです。こんな心無い言葉を使う裁判官は、人間の心を理解していないのではないかとさえ思えます。

教団の財産は、信者が爪に火を灯すような思いで、積み上げたものです。それは先輩の代から引き継いだものでもありません。それを国家が取り上げて、「反射的利益」と言い切ってしまうとは、私には恐怖統治としか思えません。

先日、信教の自由と人権を守る二世の会で、顔を出して生身の信者の声を聞いて欲しいと、記者会見を行いました。素晴らしいと思います。信仰を持つ一人の人間として、どうしたら周囲の方々に思いを伝えることができるのか、勇気と行動を起こしたものです。

企画し参加された二世の方々に敬意を表します。

動画はこちら
https://youtu.be/RCoDXYYb9Cw