解散命令請求と大本教弾圧
大本教は、教祖は出口なおという方で、明治維新後登場した新興宗教です。出口ナオさんは、文字も書けないような方でした。この方の婿養子の出口王仁三郎という方が第二教祖と言われ、強烈に信者を増やしました。
その結果、国家から危険な団体だとして目を付けられてしまいました。出口ナオさんが亡くなった後のことですが、大正10年、1921年、出口王仁三郎教祖を含め、大勢の信者が逮捕されるという事件が起きます。これを第一次大本事件と言います。
この時の記事が、朝日新聞に掲載されています。
https://digital.asahi.com/articles/ASP293TFWP24ULZU00S.html
アサヒグラフの写真も載っていますが、大本教本部の神殿はめちゃくちゃに破壊されました。ひどいのは、教祖の出口なおさんの墓を暴いて、改築してしまったのです。理由は、墓の形が古墳に似ていて、天皇家を侮辱しているというような理由でした。
逮捕の理由は、淫祀邪教、国家転覆しようとしてる、武器を隠している、などでした。しかしいろいろ調べた結果、何も証拠が見つからずに、この事件は終わってしまいます。
この15年後に、第二次大本教事件がおきます。1935年、昭和10年、第一次大本教事件は大正10年で第二次大本教は昭和10年、10と10で覚えると分かりやすいですが、この時はさらにひどい迫害でした。多くの軍人や学者などが次々に入教していたため、このままだでは危険だと思われたのです。治安維持法(1925年)が制定された6年後のことです。治安維持法は、もともと共産主義を取り締まる目的の法律でしたが、初めて宗教団体にも適用され、大本教が危険な団体だとして弾圧されたのです。
約500人の警官が武装して教団本部に押し入ったのですが、実際に踏み込んでみると、どこにも武器はないわけです。たくさんの信徒が逮捕されて、16人ぐらいは拷問されて殺されました。
第二次大本教事件では、弁護団もいろいろと弁護しましたが、1940年の一審では、不敬罪違反と治安維持法違反で有罪となりました。ところが、1942年の控訴審では、大本教は逆転無罪となりました。高野綱雄裁判長は判決文の中で「大本は宇宙観・神観・人生観等理路整然たる教義を持つ宗教である」と書いています。不敬罪は有罪とされましたが、原告被告双方が上訴し、そのまま終戦を迎えてしまいます。その結果、恩赦となり、無罪放免となって終わりました。
第二次大本教事件では、警官隊が踏み込んだ時に、大本教の神殿がダイナマイトで爆破されてしまいました。拷問で信者が殺されてしまい、とんでもないことになったわけです。これが戦前の大本教弾圧です。この大本教からは、生長の家や世界救世教など、今日に続く宗教団体が派生し、現在でも宗教界では影響力があるということです。
このおぞましい宗教弾圧が戦前行われたことが、宗教行政においては一つの反省点となって、こういうことをやってはいけないという教訓になりました。これを忘れてはいけないということを警告したのが、2021年2月11日の朝日新聞の先ほどの記事です。
ところが、その翌年2022年に、安倍元首相の暗殺事件です。
それ以降家庭連合に対する強烈なバッシングが行われ、あの戦前の国家による宗教弾圧を批判していた朝日新聞も、この記事で書いた反省を忘れてしまったかのように、他のマスメディアと論調を合わせて、それに対する家庭連合の反論も一切認めずに、同じようなことを、今しているということです。
家庭連合に対する解散命令請求が決定されるということになれば、この100年間、日本という国は、過去の事件から何も学んでいない、ということになるのではないでしょうか。
なぜならば、私も家庭連合の信者ですが、武器を持って社会を破壊しようなど、そんなことは一切考えていないわけです。戦前はダイナマイトで神殿を破壊されましたが、今はダイナマイト使わないまでも、私たちの神殿、日本の聖地、教会も法的に奪い去られ、更地のようになってしまう、そういうことが行われようとしています。
人間は、過去の歴史から学ばなければなりません。そう考えると、戦前の大本教に対する宗教弾圧について、よく考えなければならないと思います。
関連資料:Wikipedia 大本事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6
動画はこちら
https://youtu.be/LKqsXzpWxmA
