ツァラトゥストラはかく語りき 無神論について

ニーチェが書いた、無神論を主張する本である、「ツァラトゥストラはかく語りき」を読んでみました。「神は死んだ」という言葉で有名です。
19世紀は、産業革命によって爆発的に拡大した生産力を背景に、資本主義経済が発展した時期ですが、それと同時に社会的な矛盾も顕在化し、無神論が拡大した時期でもあります。
下記のような著作が発表されました。

①キリスト教の本質 (1841年)
フォイエルバッハによって書かれた無神論の本で、神は人間の産物であり、人間の対象化された本質を表していると主張しました。そして、神を信じ、神にゆだねる生活が、かえって人間の愛の実践を妨げ、人間らしさを奪っていると指摘しました。

②ヘーゲル法哲学批判序説(1844年)
カール・マルクスの25歳の時の著作で、「宗教はアヘンである」という有名な言葉を残しています。宗教や宗教的な価値観を否定し、ヘーゲルの観念論を否定して唯物論を主張します。共産党宣言や、資本論の思想の基礎となっています。

③共産党宣言 (1848年)
カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによって書かれた政治パンフレットです。資本主義社会の批判と共産主義社会の実現を訴えました。そして、「宗教は阿片である」と言ったのです。

④種の起源 (1859年)
チャールズ・ダーウィンによる進化論の基礎となる著作です。自然選択による進化の理論、共通祖先からの生物の多様化、生存競争と適者生存の原理であり、神の創造を否定しました。

⑤資本論 (第1巻: 1867年、第2巻: 1885年、第3巻: 1894年)
カール・マルクスによる経済学の大著です。資本主義経済システムの分析と批判を行い、労働価値説や剰余価値論などの理論を展開しました。

そして、1883年~1885年にかけて、フリードリヒ・ニーチェが「ツァラトゥストラはかく語りき」を書きました。
「神は死んだ」と宣言し、人間が自ら生の意義を見つけ出そうとする「超人」の概念を提示し、既存の道徳観や価値観に挑戦しました。
本を読んでみると、旧約聖書や新約聖書の言葉が、あちこちに出てきます。

例えば、こんなことが書いてあります。
「古い石の板と新しい石の板
ここに私は砕かれた古い石の板のほとりに座り、また半ば書きかけの新しい石の板を傍らにして待っている。いつになったら、私の時は来るのか?
人間たちのところに行って、私は彼らが、古ぼけたうぬぼれの上にあぐらをかいているのを発見した。人間にとって何が善であり、何が悪であるのか、そんなことはとうの昔から分かりきっていると、誰もが思いこんでいた。
およそ徳についての議論は、古臭い飽き飽きしたことだと、思われていた。よく眠りたいと思うものは、横になる前にしばらく「善」と「悪」とを話題にする。
私は次のように教えて、彼らの眠気を覚ましてやった、何が善であり悪であるのかは、まだ誰も知らない。それを知るのは創造するものだけだ!
ところで創造するものとは、人間の目標を創造し、大地にその意味と未来とを与える者のことだ。この者が初めて、ある者が善であり、ある者が悪であるということを、創造するのである、と。
そして私は彼らに言った。あなた方の古い講壇を倒せと。またあの古ぼけたうぬぼれが座っていたところも、ことごとくくつがえせと。私は彼らに、あなた方の偉大な有徳者と聖人と詩人と救世主とをあざ笑えと言った」(下巻P91-92)

ここでの、「古い石の板」とは、モーセが神から授かった十戒が刻まれた石板のことであり、古ぼけたうぬぼれとは神のことで、「創造する者」とは人間のことだと思います。神とキリストに対する憎しみすら感じます。

日本で無神論というと、神がいるかどうかわからないが、どちらでもいい、というような姿勢だと思います。しかし、西洋の無神論は、積極的に神を否定し、キリストを否定します。「ツァラトゥストラはかく語りき」が、聖書の言葉を使いながら、これを否定するのは、そういう背景があるのだと思います。共産主義思想は、そのような背景をもとに構築されてきた理論であり、人間の傲慢性を助長するものです。伝統的で謙虚な価値観を大切にするべきだと思います。

動画はこちら
https://youtu.be/hx72pKx6PlM