踏みにじられた信教の自由
太田朝久氏の「踏みにじられた信教の自由」を読みました。家庭連合の信者に対する拉致監禁問題を扱った著書です。
太田氏は16歳でプロテスタント教会で洗礼を受け、その後統一教会に入教し、現在は家庭連合の教理研究院院長を務めています。クリスチャン出身であるため、キリスト教に対する理解が非常に深い方のようです。
太田氏は、この本で拉致監禁の被害の実態を、実例をあげて、つぶさにレポートしています。その中で、反対牧師の名前がいくつかあげられています。拉致監禁という手法を編み出した森山諭牧師を始めとして、船田武雄牧師、高澤守牧師、和賀真也牧師、村上蜜牧師、清水与志雄牧師、川崎経子牧師など、数多くの牧師の名前が登場します。
なぜキリスト教会の牧師が、家庭連合の信者を拉致監禁してまで、脱会させようとするのか。キリスト教の教理を通して、太田氏は解説しています。
①偶像崇拝や占いなどを排斥するキリスト教(P120)
「キリスト教信仰(特に福音派)では、「先祖供養」を始め「占い」「姓名判断」「霊能者」というものを罪悪視しており、その考え方が脱会した元信者らを反統一教会活動に駆りたてる力となっています。クリスチャンは、姓名判断や手相などを見る行為に対して、「占いは非聖書的」という考え方を持っています。また、霊界は存在しないと考え、霊的霊能力的な話をも拒絶してしまう傾向を持っています。また、仏像などに手を合わせる行為についても、「偶像崇拝」とサタン視し、さらには日本人が伝統的に行ってきた「先祖供養」に対しても、拒否する思いを持っています。」
家庭連合に対して反対牧師が反対する理由には、この「偶像崇拝」に対する反感もあるようです。霊感商法は、偶像崇拝にあたるというわけです。例えば、お正月に神社に初もうでに行って、おみくじを引くということも、忌避されるようですが、私は、これは日本人の伝統的な文化であって、個人の信仰とは切り離して考えています。地元の八幡神社も、運営しているのは地元の方だったりするので、むしろ地域を盛り上げることに役立つと思います。
②キリスト教が霊界を否定する理由(P128)
「キリスト教は、霊界の実在を否定する傾向性を持っていますが、そこにはキリスト教教理の根本である「十字架贖罪論」に直結した教理的な理由があります。キリスト教においては、堕落することによって、人間には「霊的死」および「肉体の死」が起こったと考えられています。そして、「終末」が到来して、人間の救いが完成し、「栄化」すれば、人間は「永遠の生命」を得て永生するようになるため、その栄光の体で生きる世界とは別の死後の世界、いわゆる「霊界」という世界は存在しなくなると考えているのです。
もし人間が堕落しなくても死んでしまい、死後の世界である「霊界」が普遍的に存在するとすれば、イエスが人類に死をもたらした「罪」を清算するために、十字架にかかって身代わりに死んでくださり、そして復活されたのだという教えそのものが崩壊してしまうのです。」
この点は、「霊界」に対する基本的な見解に相違があるようです。家庭連合では、霊界は必ず存在し、罪のある人も無い人も、基本的にその霊界で永世すると考えています。だから、霊界にいる先祖のために、献金したり霊物を購入したりするわけです。これに対して、キリスト教では、人間の堕落によって死が訪れるようになったので、「霊界」が作られた、と見るようです。そういう目で見ると、「霊感商法」は、救いの延長線上にはないということになって、批判の対象になるわけです。
③キリスト教が先祖供養を否定する理由(P130)
「祖先崇拝」は古来、広く諸地域に存在し、典型的な姿が古代のギリシャ・ローマにおいて見られました。
キリスト教は、基本的に「祖先崇拝」を罪悪視し、極端な場合は「仏壇」「位牌」を焼き払ったりもします。実は、そこにもキリスト教の教理問題がからんでいるのです。人間の救済については、キリスト教では、あくまでも信者一人ひとりが自分自身で、十字架の贖いに対する「信仰」を持つことによってのみ救われると説いており、東洋でいう先祖の因縁や功労というものは説かず、むしろそれを否定しているのです。」
先祖供養も、キリスト教の教理からすれば、反対理由になるようです。十字架の救いは、個人の救済であって、死者がそこに係ることはなく、むしろ忌み嫌うべきものとなるわけです。あくまでイエス・キリストと私、という1対1の関係が重要だからです。
拉致監禁による強制棄教は、決して許されるものではありません。ましてや、教理の違いがあるからといって、これを行うことは、言語同断です。教理の違いは、いろいろな宗教があれば、異なるのは当然であって、それが拉致監禁という犯罪行為を正当化する理由にはなりません。
一方で、キリスト教の信仰者から見ると、家庭連合の信仰はどのように見えるのか、ということを知っておくことは、意味があると思います。それは、自分自身の信仰を、より深めることにもつながるのではないかと、思うからです。
動画はこちら
https://youtu.be/B8mJLQTJl8c
