日本のBC級戦犯と空襲・原爆被害者
先日のブログと動画で、戦後の極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判における、A級戦犯について書きました。このA級戦犯の他に、B級戦犯、C級戦犯があります。
勘違いされやすいですが、A級、B級、C級というのは、犯罪の重さで区分しているのではなく、犯罪の種類でわけています。
日本文教出版社、これは日本共産党系の出版社ですが、こちらに記事があります。
https://www.nichibun-g.co.jp/data/web-magazine/manabito/archive/history/016.html
A級「平和に対する罪」とは、戦争そのものの開始に係わるものですが、B級戦犯とはB級「通例の戦争犯罪」であり、C級戦犯とは「人道に対する罪」です。そして、このBC級戦犯に対しては、横浜軍事法廷の他、アメリカ4か所、イギリス11か所、など、合計49か所の軍事裁判所が開かれ、5700人が起訴されて、920人が死刑となりました。
先日のブログでコメントも頂いたのですが、この「人道に対する罪」で日本人を裁くのであれば、アメリカによる、日本の無防備な都市に対する一般市民への無差別爆撃、そして広島・長崎への2発の原子爆弾も、「人道に対する罪」で裁かれるべきではないでしょうか。
日本の都市への空襲による一般市民への無差別攻撃の被害も甚大でした。1945年3月10日の東京大空襲では東京下町が焼き尽くされ、被災家屋は27万戸、被災者は100万人、死者9万5千人と言われます。
https://tokyo-sensai.net/about/tokyoraids/
広島と長崎の原子爆弾で亡くなったのは、広島14万人、長崎7万人、20万人以上の犠牲者が出ました。その後の後遺症による死者を含めれば、もっと多くの方が犠牲者となりました。ちなみに私の両親も広島出身で、私の母方の祖父は被曝して白血病となり、亡くなりました。
https://www.nhk.or.jp/archives/sensou/special/warmuseum/02
これらの空襲により亡くなった方は、約40万人にもなります。
https://mainichi.jp/articles/20200815/k00/00m/040/236000c
広島・長崎の原爆については、日本が徹底抗戦を放棄して戦争をやめさせるためだという理屈が、アメリカの中にあります。日本人もそれを支持している人がいるように思います。
しかし、日本がポツダム宣言を受諾したのは、原爆のためではありません。国家の指導者の間で、戦争を継続するべきか、降伏するべきか、議論が分かれた時、1945年8月10日の午前会議で昭和天皇がご聖断を下して、戦争が終結することになったのです。そうでなければ、日本は1億総玉砕の方針で再起不能となっていたと思います。
それからもう一つ、原爆については、もともと広島と小倉が投下予定地となっていました。小倉については、当日の悪天候で急遽長崎に予定地が変更されましたが、この2つの都市が選ばれたのは、それまで空襲を受けていないからです。原爆の影響を測定するために、そのようなことが行われました。これは、壮大な人体実験であるとも言えます。
以上のことを考えると、日本の軍のみが、人道の罪を訴追されたというのは、やはり不公正なのです。
これに関連して言うならば、核兵器反対という運動があります。確かに原爆の破壊力は凄まじく、1発で東京大空襲1回分の人が亡くなりましたが、兵器であることには変わりありません。核兵器自体が問題なのではなく、それを使用する人間に問題があるのであって、感情的に反対するのではなく、国家安全保障の観点から議論するべき問題だと思います。現在の核兵器反対運動は、日本共産党など左翼勢力の政治的なプロパガンダに利用されていて、結局は中国やロシアなどの核保有国、北朝鮮など核保有を試みる国を利する結果になることを、私は懸念します。
第二次世界大戦については、日本の行動が全面的に正しいと言うことは難しいと思います。
中国や韓国など諸外国の中には、戦時中の日本の行動を非難する国があるのであって、それを各国内の政治的な反日教育の結果だと片付けることは、無理があると思います。
しかし、東京裁判やBC級戦犯を裁いた各軍事裁判は、明らかに日本だけが全面的に悪いとした一方的な裁判であり、それに対しては異を唱えなければなりません。
ましてや日本人自身が、日本だけが悪いと思い込んでしまうことは、日本人の誇りや伝統文化の存続に係わる危険な考え方であると、私は思います。