ジャン・カルヴァンの生涯(下) 西洋文化はいかにして作られたか
先日ブログに書いた、アリスター・E・マクグラス氏の著書で、芳賀力氏が翻訳した、「ジャン・カルヴァンの生涯 西洋文化はいかにして作られたか」の下巻をご紹介します。
ジャン・カルヴァンは、フランスで生まれ、スイスのジュネーブを拠点として宗教改革の活動をしました。マルチン・ルターの宗教改革を、神学的にまとめ、近代の西洋文化に大きな影響を与えました。その代表作が、「キリスト教綱要」という本です。
本書では、まず「キリスト教綱要」について、概要を説明しています。
「キリスト教綱要でカルヴァンが提示している題材は、以下のように四巻に分かれている。第一巻は神論を扱う。特に創造と摂理の考えである。第二巻は贖罪論の基礎づけを扱う。これには、人間の罪についての議論や贖い主イエス・キリストの人格と業についての広範な分析が含まれる。第三巻は、この贖いが個々人に適用される仕方を論じる。これには信仰、再生、義認、予定の教理の分析が含まれる。第四巻は、贖われた共同体の生活を論じる。教会、その職務、聖礼典、国家との関係といった、教会に直接関わるさまざまな問題が考察される。」
この章立ては、どこかで読んだことがあるなと思えば、原理講論の構成にとても似ています。原理講論は第1章が創造原理で神の創造について解説し、第2章が堕落論で人間の堕落と罪について解説し、第3章の終末論からから第7章キリスト論までで、人類の救済について解説しています。後編では、人類復帰の歴史において、家族・民族・国家・世界という共同体について述べています。
本書の副題でもある西洋文化への影響について、本書では次の2点を指摘しています。
一つは、予定論です。つまり、神様は救済する者とそうでない者を予め決めているということです。神の救いは、一方的な神の恩寵によるものだから、人間の努力でそれは変えられない、というわけです。本書から引用します。
「予定は、それによって神があらゆる人間になそうと思うことを決定した神の永遠の聖定として定義される。なぜなら、神はすべての者を同じ条件で作られたのではなく、ある者には永遠の命を、ほかの者には永遠の断罪を定めておられるからである」(P78)
もう一つは、労働は尊いものであり、神の栄光を示すものである、ということです。マックス・ウェーバーは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で、プロテスタントの禁欲的な労働意欲こそが資本を形成する力となり、資本主義の発展に貢献したと書いていますが、その論拠がカルヴァンの思想だというのです。
財産を持つ者が金儲けをすると、資産を浪費して何ものこりませんが、プロテスタントは予定論に基づいて、自分が神に選ばれた者であることを証明するために、資産を形成することで神の栄光を表そうとしました。ここには、予定説が大きく影響していると思います。働くことは労働者がするものであり、金を儲けることは卑しいこととされていた中世の価値観を、カルヴァンは労働倫理として高めました。カルヴァンは、「働きたくない者は、食べてはならない」(テサロニケの信徒への手紙Ⅱ3章10節)を引用しています(P212)
共産主義では、労働は資本家に搾取されているから、労働者の手に取り戻さなければならない、としていますから、大きな違いだと思います。
本書は最後に、カルヴァンの思想は西洋文化に多大な影響を与えましたが、同時にそこには限界もあったと言っています。それは予定説が、差別も産んだということです。
「アメリカ北部のカルヴィニスト北部の神学者は、すべての人間が等しい権利を持って創造されたと主張したのに対して、アメリカ南部のカルヴィニストの神学者の多くは、神は個々人を人種的、社会的に異なった身分を持つように創造したと主張した。北部の神学者は自然法という一つの考えに訴えたが、南部の同僚たちは、起源も強調点もまったく異なる考えに訴えた。結果としてこれら南部カルヴィニストの神学者は、白人と黒人に分離した人種的発展という教理も、また既存の奴隷制の実施の存続をも是認できると考えたのである。」(P272)
キリスト教は、国家主義から個人を切り離し、神は個人の救済するという教えによって、国を越えて世界に広まることができました。それは西洋文化に結実し、基本的人権の尊重という民主主義の基本理念を作り上げ、資本主義の発展に貢献しましたが、同時に人種差別も生み出す一因となりました。西洋人は神に祝福され優れているという発想から、アフリカやアジアへの植民地政策にもつながったのではないかと、私は思っています。キリスト教は、パウロ、アウグスティヌス、トマス・アクィナス、ルター、カルヴァンと受け継がれて西洋で花開きましたが、同時にその限界もあったのだろうと、私は思います。