東京裁判とA級戦犯と靖国神社
東京裁判とは、1946年から1948年まで東京で行われた、日本の戦争責任を裁くための裁判で、正式名称を極東国際軍事裁判と言います。アメリカを中心とする連合国が設置したものです。
この東京裁判では、A級戦犯28名が有罪とされ、7名が絞首刑となりました。A級戦犯というのは「平和に対する罪」に対する犯罪人で、これは「侵略戦争又は条約等に違反する戦争の計画、準備、開始、遂行やこれらのいずれかを達成するための共同謀議への参加等」という犯罪です。
しかし、東京裁判での、「平和に対する罪」に対する「犯罪」というのは大きな問題があります。
一つは、そもそも西洋列強は16世紀以降侵略戦争を行っており、アフリカやアジアの多くの国々が植民地化されているという事実があるにも関わらず、日本のみが断罪されたという点です。
二つ目は、「平和に対する罪」が登場したのは、第二次世界大戦後であって、典型的な事後法であることです。訴求罰の禁止は法学の基本であって、これに反しているのです。
つまり、東京裁判は、裁判の形式をとった、戦勝国による敗戦国の断罪であり、「日本が一方的に悪い」という刻印を、歴史に刻み込むような裁判でありました。
そして、東京裁判の最大の問題点は、海外のみならず日本国民までもが、「日本が一方的に悪い」と思い込むようになったことだと思います。
西洋列強は、アフリカやアジアを次々と植民地化しましたが、基本的な政策は、収奪です。資源を本国に持ち帰り、安い労働力を使って生産力を高めました。甚だしくは、インドでケシを栽培して阿片を生産し、それを中国に持ち込んで金銀を収奪しました。1840年の阿片戦争は、違法な阿片を没収して焼却処分した清を武力で攻め込んで、南京条約で香港を割譲させました。なんとも破廉恥なことです。
また、アフリカの人々をヨーロッパやアメリカに連れ去り、奴隷として酷使しました。特に西海岸のナイジェリアやセネガルなどから、アフリカ人が奴隷船に乗せられて奴隷貿易として売買されました。
日本が戦争で戦ったのは、このような西洋列強の植民地支配の実態を知っていたからで、日本とアジアを、西洋列強の侵略から守らなければならない、というのが出発点だったはずです。
しかし日本の海外統治政策は、現地の理解を得る努力が不足したこともあると思いますが、必ずしも歓迎されたとは言えません。そして戦争が終わり、東京裁判において、「日本が一方的に悪い」ということになり、それが定着してしまいました。
その結果、日本人自身が、戦争の責任を負うことを避けているように見えます。「戦争が始まったのは、戦犯が悪い」として、日本人は敗戦の原因を戦犯のみに負わせているのではないでしょうか。日本国民が、戦後飢えや困窮という苦労を背負うことになったのは、戦争を起こした政治家や軍部など、一部軍国主義者が悪いのであって、日本国民は被害者だ、という考えです。
しかし、考えてみれば、対米戦争を決定したのは確かに当時の指導者たちであったかもしれませんが、それを煽ったのはマスコミだし、それを熱狂的に支持したのは日本の国民なわけです。だから、日本の国民自身が、「自分たちは、政治家や軍などの戦犯によって騙された」というのは、事実と異なると、私は思います。
実は、「日本国民は戦犯たちに騙されていた」というのは、中国などの言い分です。1972年に締結された日中共同宣言に、「五 中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」と書いてあります。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/nc_seimei.html
そして中国政府は、損害賠償請求権の放棄と、日本の戦犯の断罪はセットだ、と言っているのです。
2005年10月24日の中国大使館の大使コラムに、このようにかいてあります。
「33年前に中日が国交を回復した時、日本政府が、かつての侵略戦争の責任を痛感し、深く反省すると表明しました。それに対して、中国政府は、あの戦争の責任が少数の軍国主義者にあり、普通の日本国民も被害者であったという立場をとりました。それをもって中国は戦争賠償の請求を放棄し、両国の国交が回復できたわけです。これは両国関係の原点とでも言えるでしょう。」
http://jp.china-embassy.gov.cn/jpn/dszl/200510/t20051024_10429207.htm
A級戦犯が祭られている靖国神社を、首相が参拝すると中国が反発するのは、そういう理屈です。1985年に中曽根総理大臣が靖国神社を公式参拝したことに反発し、小泉総理大臣の靖国神社の私的参拝も外交カード化し、以降日本の首相は靖国神社の参拝を避けるようになりました。
しかし、日本人自身が、そういるロジックに乗ってしまってはいけないと、私は思います。戦争もその結果も、日本人全体に責任があるし、その結果も負担しなければなりません。「一部の軍国主義者の被害者だ」などと、言い訳をしてはいけないと思います。
誰かのせいにすれば、気持ちは楽になるかもしれません。しかし、それは他者に別の口実を与える余地ができてしまうことになります。国のために命を捧げた靖国神社を、首相が公式参拝することができないでいることは、情けないことです。
日本人が、誇りをもって戦ったこと、その結果に対して言い訳するのではなく、きちんと向き合うことが、必要だと思います。